光彩瞬く      前編




総司が近藤の供で数人の部下を連れて大坂へ向かった。
セイも同行したかったのは山々ではあるが、真夏だというのに妙に涼しい日が続き、
隊内に夏風邪で寝こむ者が続出してしまった。
そんな状況では素人ながら医術に長けているセイが屯所を離れる訳にもいかず、
今回ばかりは留守居役に回される事となっていた。



「ちょ、ちょっと・・・何事ですか、これは!」

朝、出立する近藤や総司を見送ってから南部医師の下へ風邪の薬を受け取りに行き、
隊に戻ったセイが屯所の惨状を見て悲鳴を上げた。
呻き声がそこここから聞こえ、動く事も出来ないのか隊士達の多くが
廊下や階段に蹲っている。
堪える事が出来なかったのだろうか、廊下から庭に半身を乗り出して
吐いている者までいる始末だ。

「・・・・・・食中りだとよ・・・・・・」

怒りを抑えた低い声が隣から聞こえ、慌ててそちらに視線を向けると
黒谷へ赴いていたはずの土方が腕を組んで立っている。
隊内の騒ぎを知らされて急ぎ戻ってきたと思われた。

「・・・食中り?」

セイの言葉に苦々しく頷くその男には異変の気配は感じられない。

「賄い方の馬鹿共が、数日涼しかったからと昼餉に古い卵を出しやがったらしい。
 昨日からまた暑くなっているんだ。物が傷みやすい事ぐらいわかっているだろうに
 確認しなかったそうだ」

なるほど、とセイが頷く。
セイも土方も近藤達に続いて屯所を離れ、出先で昼餉を食べていた。
だから巻き込まれずに済んだという事だ。
つまりは総司達にも異常は無い事だろうと思ってセイが胸を撫で下ろす。

「何を安心してるんだか知らねぇがな。食中りってのはすぐにゃ治らねぇんだぜ。
 回復しても数日は力が入らねぇ。まして風邪で体力の落ちている連中だ、
 使えるまでにどれほどかかるか・・・」

溜息と同時に落とされる土方の声は擦れている。
怒鳴り散らしたところで何の解決にもならない事を承知しているからだろう。
目の前の廊下には厠へ向かってずるりずるりと移動していく男達の列がある。
それはまるで地獄の底を這いずる亡者の群れにも見えてくる。
救いを求めて手を伸ばす、その腕にも力が無い。
おそらく何らかの事情で昼餉を取らなかったらしい者達が、動けない程に
具合の悪い隊士を部屋で休ませようと布団に乗せて運んでいた。

「ざっと見ただけで動けるのは二隊程度だな。巡察に出ていて無事だった
 連中と合わせても三隊だ」

その言葉を聞いたセイの頬に緊張が走った。
それでは午前、午後、夜番と日に三度の巡察で精一杯ではないか。
しかも休み無しでだ。
けれどそれでは隊士達の負担が激しい。
特にギリギリで回すという事は、一隊は夜ばかりになりかねない。
壬生にいた頃とは違って今の隊は夜間の巡察時に危険が増している。
思わぬ時に敵に狙われ、浪士と斬り合いになる事もあるのだから。
精鋭揃いの一番隊であっても、夜の巡察はひどく疲労するのだ。
闇からの襲撃は単純な人数の差では勝敗を定められない。
必要なのは連携の中での各自の能力とそれを率いる者の判断力・・・。

はっと何かに思い当たったようにセイが土方を見上げた。

「幹部の方達は・・・?」

恐々というその問いに冷ややかな答えが返った。

「ほぼ全滅だな・・・。しかもよりによって、巡察で出ていたのは六番隊だ」

セイの目の前が暗く翳った気がした。
隊士である以上、皆がそれなりの剣の腕を持っている。
表向きはそういう位置付けではあるがそれは建前だと誰もが知っている。
実際は一番隊から三番隊までは精鋭で、井上の六番隊、原田の十番隊は
技量において遙かに劣る。

特に六番隊は人柄に重きを置かれたように穏やかで忍耐強い者達が揃っているが、
あくまで後方支援を主眼として形成された部隊であり、実際の戦闘では
その力量を期待出来ない。
まともな一隊として残っているのがその隊だけだという事は、隊にとっての
危機を感じさせたのだ。


「神谷」

ふいに呼ばれてセイが顔を上げた。

「二条城のお偉いさんが大坂へ出向く往復を護衛するのが近藤さん達の仕事だ。
 呼び戻す訳にはいかねぇ」

「はい」

既に苛立ちや怒りの気配を滑り落とした男が、冷徹な表情で見下ろしてくる。

「今回ばかりはお前に病人の看護なんぞさせてる暇は無ぇぞ」

セイが黙って頷く。

「組長並の仕事をさせるからな。覚悟しとけ」

「承知」

脳内で今後の動きを組み立て始めた男に視線を合わせてセイが短く返事を返す。
それを確認して土方が歩を進ませた。

「休息所のある幹部は籠を呼んでそこで療養させる!
 重症のヤツらは一部屋に纏めて小者に面倒を見させろ!
 症状の比較的軽い奴らは、自分達で互いに何とかさせておけ!
 各隊の代表者、無事だった人数の報告に来い!」

その声に一瞬動きを止めた隊士達が慌しく動き出し、副長室に向かう
土方の後ろへ報告をしようという隊士が続いた。





今後の事を相談しようにも “幹部はほぼ全滅” の言葉通り、伊東派は総崩れ、
副長室に集ったのは試衛館組の井上の他は斎藤だけだった。
その斎藤にしても他の者に比べれば多少はマシ、という程度でしかない。
日頃はどれほどの修羅場に立とうとも表情を変える事の無い面に、
びっしりと冷たい汗を浮かべている。
その様子を見かねた土方が横たわるよう命じたほどに苦しげだ。

つまりは斎藤も実働不可能。
使える幹部は土方を除けば井上だけ。
各隊の伍長達も軒並み寝ついている。
隊士にしても稼動できる者は五十人に満たない数だ。
これにはさすがの土方も頭を抱え、思案を纏めるにも苦労する。


「会津に助けを借りるしか無ぇって事か・・・だが・・・」

土方の眉間の皺が一層深くなった。
仲間という位置付けではあるが、未だ新選組を食いつめ者の野良犬集団と
考えている会津武士も少なくない。
出来る限り手を借りたくないと土方が思うのも当然と言える。
まして原因が不可抗力とはいえ隊内の不始末である以上、どうにか方策を見つけて
自分達の手でこの危機を乗り切りたいと思うのだ。
自分を信じて隊を任せてくれている近藤を思えば、その顔に泥を塗るような事が
出来ようはずもないだろう。

それはその場にいる誰もが同じ思いであった。


「・・・・・・動ける全ての隊士を混ぜた上で、三隊に分けては・・・」

土方に代わって文机に向かい、書類を認めていたセイがぽつりと口を開いた。

「神谷」

平隊士が口を挟むべきものではないと斎藤が掠れた声で嗜める。

「かまわん、続けろ」

土方が無表情に許しを与えた事で、幹部に向き直って姿勢を正したセイが
再び口を開いた。

「斬り込みに行くわけではありません。巡察では戦力を均等にする事が
 必要だと思われます。そして隊を纏め、現場に出て指示を出せるのは
 副長と井上先生のみ。六番隊の伍長二人に一隊を任せるとしても
 三隊分しか頭がいないという事です」

「いや・・・うちの伍長では隊は仕切れんよ」

井上が穏やかで人の良い自分の部下を思い浮かべて首を振る。
伍長としての働きを低く見るわけではないが、とっさの時に冷静な判断を下し
敵に向かえるだけの機転は期待できない。
瞬時の判断力が生死を分けるのだ。
日頃の稽古とは違い、昼であれば周囲にいるだろう町人が、夜ともなれば
足元も危うくする闇が、個々の判断を迷わせる。
あの朴訥な部下達がその極限で冷静な指示を出せるとは思えなかった。

「・・・そう、ですか・・・」

少し考えるように膝元に視線を落としていたセイが再び顔を上げた。

「一番隊はほとんどが大坂に出動していますが、山口さんが残っています。
 幸いあの人も無事でした。平隊士ではありますが、あの人なら隊を
 指揮できると思います」

「いや、それならいっその事、監察の山崎に一手を任せるというのはどうだ」

「駄目です」

井上の言葉を即座にセイが否定した。

「あ・・・申し訳ありません」

幹部の提案を一言の元に否定した非礼に思い当たり、セイが頭を下げる。

「構わんよ。今は緊急事態だ。意見は多いほど良いはずだからな」

穏やかなその言葉と同時に土方が顎をしゃくった。
続きを話せと言う事だ。

「では・・・。隊がこのような状況だという事は、即座に京の町人の口から不逞浪士に
 伝わる事でしょう。それに乗じて不穏な動きをする者が出る事は確実です。
 それだけに監察の方々には一層働いてもらう事になるはずです。そんな時に
 監察の柱である山崎さんが抜けては不都合が多すぎるのではないでしょうか」

瞬時に今後の浪士達の動きを察し、監察方の重要性を判断する若い隊士に
井上はもちろん斎藤も驚きの視線を向けている。
土方だけは何かを考えるように腕を組み眼を閉じている。

「山口さんでしたら沖田先生の近くで隊士の指揮の仕様を見ているはずです。
 あの人は剣の腕も確かですし状況判断も的確です。まして一番隊は日頃
 危険な戦闘が多い分だけ、思わぬ事態に直面しても恐らく他の隊の方よりも
 落ち着いた判断を下す事ができるのではないかと思います」

セイの言葉は最もだった。
緊急出動の時、特に危険な場には一番隊が配される事が多いし、同時に
敵にも狙われて闇討ち紛いの斬り合いに遭遇した事も一度や二度では無い。
そんな状況に馴染んでいる隊士は他の隊にはいないだろう。
深く納得して井上が頷いている。
斎藤も異論は無いようだ。
けれどそれに異を唱える者がいた。


「・・・いや、山口じゃねぇな。神谷、お前が一隊を仕切れ」

「副長?」

驚いたように自分を見つめてくるセイを一瞥した土方の視線は強い。

「山口は補助につけてやる。平だからといって楽できる状況じゃない事ぐらい
 わかってるだろう」

「で、でも・・・私などまだ未熟で・・・」

先程までの冷静さが吹き飛んだようにセイが両手を振っている。
隊士を指揮できる幹部が足りない以上、土方が現場に出る事は確実で、
その分書類関係の機密事項に自分が関わる事は覚悟していた。
組長並の働きをさせる、と言った土方の言葉はそれを示しているのだとも。
けれどもまさか一隊を率いる事を命じられるとは思わなかったのだ。

「未熟は承知だ。組長並の働きをさせると言っておいたはずだ。
 総司がどの程度仕込んでいるのか確認させて貰うぜ」

その言葉に井上と斎藤も頷いている。
確かに隊士の中では最も若い部類ではあるが、すでに在籍した年数において
古参ともいえる者なのだ。
若さと容姿で侮る者があったとしても、恐らくそれを封じ込めるだけの
働きを見せるだろうと信じて疑わない。

「で、でもっ、書類がっ! 前線に出られる副長の代わりに仕事をする者が
 必要ではないですか?」

必死に逃げを打とうとするセイの言葉は虚しく響く。

「そんなもん、新八と平助にさせりゃあいい。剣を振るほどの力は無くても
 布団の中で筆ぐらい動かせるだろう。奴らだけ暢気に寝させてやるものかよ。
 そっちの監督は斎藤に任せる」

意地の悪い笑みを交えた土方の言葉と共に投げられる男達の
信頼を込めた視線を受け止めながら、自分がどう言おうと
決定が覆らない事を悟ってセイが溜息を吐いた。

逃げる事は許されない。
この危急の情勢に自分を通して沖田総司という男の
部下に対する指導力も評価されるのだ。
腹を据えて向き合うべき事態が眼前にある。

セイが居住まいを正した。

「神谷清三郎。沖田組長の名に恥じぬ働きをいたします」

言葉と同時に土方を見返した瞳には、強い決意が浮かんでいた。





その晩、セイが任された一隊が巡察に出た。
念の為だと言って土方が付き添っている。
セイの思考力、判断力、度胸の良さは前々から知っていたし昼間の一件でも
確認していたが、戦闘時の指揮はまた別物だとも思っている。
度胸だけ、頭脳だけでは駄目なのだ。
ただでさえ少ない使える隊士をここで減らす事など出来はしない。
万が一セイの指揮能力に不安を感じたなら即座に代わるつもりでもあった。

「副長・・・早速鼠が動き出しましたで」

物陰からそっと山崎が声をかけてきた。

「俺は検分役だ。報告は神谷にしろ」

その言葉に頷いた山崎がセイの元に走り寄って行った。



報告を聞いたセイが瞬時に判断を下したらしく、山崎の先導で走り出し
一軒の旅籠の前に辿り着く。

「山崎さん、お願いします。他は手はず通りに」

「「「承知」」」

幾つかの押し殺した返答と共に隊士が一斉に動き出した。
少し離れた土方の眼前で事態は展開していく。

「おい・・・御用改めだ」

どんどんと戸板を叩いて開けさせた隊士は体躯だけは立派だが隙だらけだ。
あのような者を先頭で斬り合わせるつもりかと土方が唇を曲げた。


(あの人はまだ子供なんですから・・・)

事毎にセイを手の中に抱え込んで守ろうとする男と、その影に隠される
華奢な隊士の姿が脳裏に浮かんだ。
やはり総司がいなければ頼りない子供のままなのか、と溜息が落ちそうになる。


その時、裏手で何やら騒ぎの物音が響き、僅かの後に浪士と思われる
三人の男達が中から飛び出してきた。
チッと土方が舌打ちして助けに入ろうと足を動かした途端、先頭にいたはずの
隊士達が左右に身を避ける。
浪士の正面に立つのはセイを中心に山口ともう一人。
どちらも確かな剣の技量を感じさせた。

冷静に考えれば脇に避けた隊士を相手にした方が逃走の可能性が高いだろうが、
正面にいる女子にも見える程優しげなセイの姿が相手の勘を狂わせる。
二人が前後するように血路を開こうとセイに斬りかかった。

――― キンッ!

――― ガキッ!

二つの金属音がセイの前で響く。
両脇にいた山口達がセイを守るように浪士の刃を弾いたのだ。
そのままそれぞれが戦闘に入る。

残された一人の浪士が劣勢を悟り、逃げ道を探して背後を振り返った。
けれどそこには左右に開いていたはずの隊士が宿屋の入り口を塞ぐように立ち、
男に刃を向けている。
男は自分が袋の鼠とされていることに気づき、最も弱そうな場所を食い破って
包囲網から逃れようとした。

真っ直ぐ自分へと向かってくる浪士を見据えてセイは表情ひとつ変えようとしない。
既に斬り倒された仲間に眼をやる余裕も無く、獣の咆哮の如き奇声を上げて
大きく振りかぶったその構えが隙だらけだと男は気づかないのだろう。
セイが半歩体を動かしただけで男の刃は空を切り、すれ違い様肩に突き込まれた
細身の剣の衝撃で地に倒れこんだ。

後は周囲の隊士の仕事だ。
捕縛された男達が番屋へと引き立てられてゆく。

「神谷はん」

宿屋から山崎と数人の隊士が姿を現す。
最初のセイの指示で裏手に回っていたらしい。

「そちらはいかがでした?」

「宿の主人が逃げ出そうとしてたんで、捕まえときましたわ」

「そうですか、ご苦労様です。こちらは三人。これで全てでしたね?」

逃がした浪士がいない事を確認して、初めてセイが微笑んだ。


その様子を無言で見ていた土方だったが、内心ではセイの指揮の見事さに
舌を巻いている。

腕に不安のある隊士に先陣を任せたように見せて、外見だけで相手が
舐めてかかるだろう自分をエサに浪士を包囲の中心に誘き出す。
逃げようと振り返った宿の入り口には、技量は劣れども追い詰められた者に
充分な威圧感を与える恰幅の良い隊士が刃を構えているのだ。
そして裏手にも腕の確かな者を少数精鋭で配置し、能力は幹部に勝るとも
劣らない山崎に指揮を任せて、万が一内部に隠れ潜んでいる者がいようと
逃がさぬだけの万全の布陣を敷く。

その水際立った采配は総司の影に隠された頼りない隊士のものとも思えない。


「おい・・・」

土方が山口に声をかけた。

「この戦法は普段総司がやっているのか?」

全てがセイの立案だとは信じられず、問いかけたのだ。

「いえ。沖田先生はほとんどご自分から飛び込まれてしまいますから」

己の腕に絶対の自信を持ち、かつ個々の能力が高い一番隊の面々を従えていれば
面倒な戦術など必要としないのは確かだろう。
そういう意味では力の足りない隊士を複数抱えてその低い実力を基本水準に
戦法を組み立てる事は、総司以上の高い能力を要求されるのかもしれない。
それを見事にこなしきった若い隊士がここにいる。


「さあ、巡察の続きです。隊列を組んでくださいね」

たった今、命のやり取りともいえる斬り合いをした緊張感を感じさせる事も無く、
静謐な面のままで仲間に指示を出すこの若者は未だ成長途上でしかない。


「・・・総司の野郎。とんでもない化物を育ててるのかもしれねぇな・・・」

漆黒の闇の中に鬼の呟きが散っていった。




                                           後編


          背景 : 小山奈鳩様