季節外れの秋嵐     前編




「あ、あのっ・・・」

自分に突き刺さる里乃の冷たい視線が痛い。
けれどここが踏ん張りどころだと総司は唇を噛み締めた。




東山の紅葉が僅かに色づきかけた頃、怪しい浪士が四条の橋あたりで
繋ぎをつけているらしいという情報を、監察の山崎が屯所に持ち込んだ。
元々人通りの多い四条橋だが、皆足早に行き交うだけでそこで足を止める者など
ほとんど無いに等しい。
当然浪士達にしても男が橋周辺で足を止めていれば警戒して
近づいてなど来ないだろう。
そう読んだ土方がセイに任を命じたのも当然の事だった。


「全く、副長は私を何だと思ってるんでしょうかね!」

障子の向こうからセイの怒りに満ちた声が聞こえてきて総司が苦笑した。

「仕方がないでしょう。貴女以外に適任がいないんですから」

「そうは言いますけどね。いっつもいっつもこんな役目ばっかり!」

セイの声が外にまで漏れそうな程、高くなったのを感じて総司が低く制した。

「神谷さん。任務に否は許されませんよ」

「・・・・・・わかってます・・・・・・」

総司の意図を察したのかセイの声も静まっていた。


「ほぉら、そないな難しい顔せんと。おセイちゃんのこんな姿見れて、
 うちは嬉しいんやし」

明るい里乃の声が場の空気を軽くした。

「もう、里乃さんったら。でもいつもこんな用でばかり家を借りてごめんね」

セイの申し訳無さそうな声に里乃のころころとした笑声が被る。

「何を気にしとるん? ここは“神谷はん”の妾宅やないの」

「いや・・・そうなんだけどさ・・・」

「そないな事より、そろそろ沖田センセに見てもらいまひょか」

里乃の楽しげな言葉と同時に障子が開けられた。
そこには地味な色合いで抑えられた紅柄縞の着物を纏った
女子姿のセイが立っている。
付け毛を足して結われた髪に飾られた朱色の櫛と簪が娘らしい。

橋で立ち止まる者に警戒する浪士と言えど相手が女子であれば気にもしない。
まして年若い町娘が人待ち顔で佇んでいたとしたら、恋しい男との
待ち合わせ程度にしか思われないだろう。
そう判断した土方がセイにその役を命じたのだ。
そして総司が近くに隠れ、浪士を確認したセイの合図があり次第
相手を取り押さえる事になっていた。
最後の最後まで女装する事に抵抗していたセイを土方が脅し、総司が宥めて
この役を引き受けさせたのだが、それまで並大抵の騒ぎでは無かったと
改めてその時の苦労を思い出した総司だった。


「おセイちゃん、可愛いわぁ」

里乃の言葉に総司の意識が眼前のセイに戻った。
それまで土方とセイの口論を脳裏に浮かべていた分だけ
眼前の“現実”に対する反応が鈍っていたのかもしれない。
感じた事をそのまま口に出してしまった。

「・・・似合わない・・・」

セイの顔が強張り、里乃が般若の如き形相で自分を睨みつけた事で
総司は己の失言に気がついた。
慌てて口元を押さえたがすでに遅い。

「まあ、今さら私が女子の姿をした所で似合わないのはわかってますが、
 これも隊務ですから・・・。さっさと参りましょう」

平板な声音でセイが告げ、玄関から外へ出ようとした。

「い、いえ。そうじゃないんです、神谷さん! あのですねっ!」

慌てて何事か口にしようとする総司を置き去りにしてセイが外に出てしまう。

「かっ、神谷さん! 違うんですってばっ!」

セイを追おうと下駄を履いた総司の背中に里乃の冷たい声がかかった。

「無神経にも程があります。うちは絶対に沖田センセを許さへん!」

振り返った総司の眼前でピシャリと障子が閉められた。





それ以来、総司は里乃の家へ入れてもらえなくなった。


「あんなぁ・・・」

セイがお馬の休暇で里乃の家に滞在する間、壬生の八木邸へ預けられる
正一を送って行く途中、今日も里乃に玄関先で戸を閉められた総司を
気の毒そうに見やって正一が口を開いた。

「沖田はんが何をしたんか知らんけどな・・・。女子を怒らしたら怖いって
 昔お父ちゃんが言うとったで」

吹き抜ける秋風の冷たさがしみじみ身に沁みていた総司が、
がっくり肩を落として答える。

「つくづく実感してますよ・・・」

あの日、無事に浪士を捕縛できたセイと総司は再び里乃の家に戻った。
隊に戻る前にセイが着替えるためだ。
けれど里乃は総司が家に入ることを頑として拒んだのだ。

二度とこの家には入れない、
無理に入ると言うなら自分は正一を連れてこの家を出る。

はったと総司を見据えて叫ぶように告げたその迫力は、鬼神すら固まらせるに
充分なものだった。
それ以来、どれほど言葉を尽くしてセイが宥めようとも、里乃は総司の顔を
見る事さえ嫌がるようになったのだ。

「はぁぁぁぁ・・・」

深い深い男の溜息を聞きながら正一は視線を反らした。
幼いながらも男同士だ。
途方に暮れた総司の姿に同情心を覚えずにいられないらしい。

「里姉ちゃんは普段優しい分だけ怒ると怖いしなぁ・・・。
 心の底から誠心誠意謝らんとあかん思うで」

その言葉には哀れみが滲んでいて、総司は苦笑するしかなかった。


 


「里乃さん!」

数日後。
買い物から戻った里乃を待っていたらしい総司が声をかけた。
それを無視して家に入ろうとする里乃の前に立ちふさがり、
必死の表情で言葉を続ける。

「待ってください。話を聞いてください。お願いですから!」

セイが姉とも慕っている相手だ。
まして里乃の怒りを解かなければあの時傷つけたであろうセイの心を
癒す術を相談する事もできない。

あれからセイは何も言わないが、総司が不用意に放った一言に
ひどく傷ついた事は感じていた。
あの日、総司と共に隠れて見守っていた山崎がセイの娘姿を褒めた時、
過剰なほどに怒りだしたのが何よりの証拠だ。
それ以来山崎さえもあの日の事に触れようとしないのは、セイの中にある
鬱屈を察しているからだろう。

そんなつもりではなかった。
自分が零したあの一言は、セイの娘姿を否定するつもりではなかったのだ。
それを知って欲しい。
否。
きちんと伝えなくてはいけない。

その為には里乃の協力がどうしても必要だった。

「話を聞いてくださるなら土下座でもなんでもします! お願いですっ!」

決死の想いが篭ったその言葉にようやく里乃が総司と視線を合わせ、
男の瞳の中にその切実さを見つけた。

「・・・・・・お話、聞かせて貰いまひょか・・・」

冷たい眼差しはそのままだったが、ようやく話を聞いて貰えそうだと
総司は大きく息を吐く。

「あ、あのっ・・・」

自分に突き刺さる里乃の冷たい視線が痛い。
けれどここが踏ん張りどころだと総司は唇を噛み締めた。

「あのですね。実は・・・」






「里乃さんっ? 何するのっ!」

非番の今日、総司に腕を引かれるようにセイが連れて来られたのは里乃の家だった。

「お願いします」

戸口に立ったまま迎えに出た人へと深々と頭を下げた総司に目をやりもせず、
里乃は奥の間へとセイを引き込んだ。
そのままあっという間に着物を剥ぎ取られ、目を瞬いているうちに化粧、
髪結いと進んでいた。

「ちょっと! ねぇ、里乃さんっ? 私は二度と女子姿になんてならないって
 こないだ言ったじゃないですかっ!」

『似合わない』

思わず零れたとしか言いようの無い総司の言葉が今もセイの耳に残っている。
確かに武士として生きる事を己に課している以上、女子姿に違和感を
持たれるようになったのは良い事なのかもしれない。
けれど命さえ捧げる事を誓うほど好いた男の口から聞かされたそれは、
セイの中に小さく息づいている女子の魂に大きな傷を残した。

滲みそうになる涙をこらえようとセイが唇を引き結んだ。

「ええからっ! 沖田センセとうちを仲直りさせたい思うんやったら、
 おとなしく言う事を聞き!」

総司の名を口にした時の里乃の剣幕に首を竦める。
日頃はおっとりと優しい姉分が滅多に見せる事の無い怒りの形相を見て、
これこそ阿修羅かもしれないとさすがのセイも溜息をついた。

「さ、これ着てな」

「え? これって・・・」

里乃に渡された浅葱の着物を見たセイが眼を瞬いた。





「ほな、お茶にしまひょか?」

「だから、ねぇ、里乃さんってば! どうして私がこんな格好をしなきゃいけないの?
 いい加減教えてよ!」

尖り続けていた里乃の声が幾らか丸みを帯びた事にホッとしつつ
里乃に続いて居間へと足を踏み入れたセイが絶句した。
目の前には見慣れた男が大きく目を見開いて自分を凝視している。

「お・・・きた、せんせい・・・?」

なぜ、どうして、総司は里乃にこの家へ入ることを禁じられていたはずではないのか。
確かに自分をこの場所へと連れて来たのは総司だが、てっきりあのまま
帰ったと思っていたのに、何故この場にいるというのか。

セイの脳内が忙しなく回転を始めるが全て空回りしてしまい、
まともな回答に辿りつく気配もない。
そんなセイを正座して正面から見つめていた総司が、大きく見開いていた眼を
ゆるりと細めた。

「ああ・・・やはり、こっちだ。・・・綺麗ですねぇ」

うっとり、という表現以外に相応しい描写はあるまいというほど
目尻を下げた総司はセイから視線を外そうとしない。

「え。え? ええっ?」

今更ながら自分の姿に思い至ったセイが後退さって奥の間に逃げようとするが、
それを察知していた里乃の手で総司の目の前に座らせられる。

「なんなんですか、いったい!」

羞恥と混乱に現状を認識出来ないセイはすでに涙目だ。
そんなセイをなだめるように背を撫でた里乃が呆れ混じりに口を開いた。

「沖田センセはこないだおセイちゃんが、これを着るとばかり思うてたんやて」

「え?」

里乃に向いていたセイの視線が総司に移る。
そこでは耳までほんのり色づいた男が、指先でぽりぽりと頬を掻いていた。

「だ、だって、以前見たその浅葱の着物がとても印象的だったんですよ。
 里乃さんのところで着替えるって事だったから、てっきりそれを着ると
 ばかり思ってて、そしたら何だか地味な着物だったから、つい・・・」

頬にあった手を膝元へ下ろした男が必死にぶつぶつと呟いている。

「だから『似合わない』って・・・」

「い、いえっ! 先日の着物も似合ってない訳じゃなかったんですよっ!
 本当にっ! ただ、もっと似合うものを知っていたからっ!
 ・・・って、私ったら何を・・・」

セイの言葉を遮って必死に言葉を継ぐ男は首筋まで真っ赤だ。
けれど自分の真意を何とか伝えたいと願っているのだろう、
一瞬たりともセイから視線を逸らす事は無かった。

一連の話を唖然とした心地で聞いていたセイの頬から耳へ、そして首筋まで
総司同様に桜色へと染まっていった。
恥ずかしげに俯いてしまったその姿をとうとう直視出来なくなった男が
自分の口元を大きな手で覆って忙しなく眼を泳がせた。

そんな可愛らしい二人の様子を見ていた里乃が助け舟を出した。

「今回は沖田センセの正直な告白に免じて堪忍しときまひょ」

「あ、ありがとうございます、里乃さんっ!」

「ありがとう、里乃さんっ!」

喜色に満ちた総司の言葉にセイの声音も重なる。
大好きな姉とも思っている里乃が総司を嫌ってしまうという事、
それがとても悲しかったのだと声の響きが語っていた。
どれほどこの男に傷つけられようとも、やはりそんなに好きなのか、と
切ないまでの一途さに呆れを通り越してしまう。

(しょもないなぁ・・・)

内心で大きな溜息を零した里乃が全てを水に流す為に、
あるお願いを条件として口にした。



                                             後編

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