季節外れの秋嵐     後編



「・・・・・・・・・・・・」

背後の気配に神経を向けながら視線は正面に据えている。
後ろの人の歩幅に合わせて普段よりも余程ゆっくりと歩を進めるが、
それでも総司の足は速いらしく、セイは時折遅れがちになる。
いっそ並んで歩いた方が相手の様子も窺えて楽ではあるが、武士が女子と
連れ立って町を歩くなど悪目立ちする事この上ないのだ。
ただでさえセイは目立って仕方が無いのだから。

前方から歩いてきた武士の視線が、総司を素通りしてその後ろに固定されている。
先程からすれ違う男のほとんどがこの調子だ。
里乃の家を出た時は、滅多に無い極上な女子姿のセイと歩ける事に
気分が高揚していたが、今ではつくづく後悔している。
こんな事なら、里乃の出した条件など飲むのではなかったと胸の内で
何度繰り返した事だろうか、と総司は小さく溜息を吐いた。


「せっかくこないに綺麗に着付けたんやし・・・」

美味しい甘味屋さんを紹介してあげるから、二人で行って来れば良い。
ついでに呉服屋に頼んである正一の新しい着物を受け取ってきて欲しい。

散々怒らせ迷惑をかけた里乃に言われれば嫌と言えるはずも無く、
まして総司は可憐な姿のセイと、セイは眩しげに自分を見る愛しい男と
ゆっくり時間を過ごせるとなれば素直に出かける気にもなったのだ。

まさか、それがこんな物思いに囚われる原因となるとは知らず。


チラリと視線を後方に向ければ、俯き加減のセイの姿が目に入った。
同時に遠巻きにだがセイの歩調に合わせて歩く男達の姿も。

「大丈夫ですか?」

故意に声を張って問いかけると、セイが上目遣いで小さく頷いた。

(何だ。やっぱり男連れじゃねぇかよ)

(残念やなぁ)

ざわりざわりと呟きを残して男達の姿が四散していった。
すでにこれで何度目だろうか、と改めて総司が溜息を吐く。

「す・・・すみません・・・。こんな派手な着物を着てるから・・・」

消えそうな声でセイが謝罪する。
目立ってしまうのが着物のせいだと思い込んでいるらしい。
けれど総司はそうで無い事を知っている。

仄かに上気した頬と桜に色づいた耳朶は白い首筋を艶やかに際立たせる。
まだ微かにあどけなさを残した黒目がちな瞳が恥ずかしさに潤んでいる様子は
男達の庇護欲をそそり、目線を惹きつけるのだ。
本人の自覚が無い事は幸か不幸か。

再び総司が前を向いた時、頭上から声が降ってきた。
その建物を確認して「しまった」と思った時には遅い。

「ひょ〜、べっぴんさんやなぁ〜」
「こっち向いてや〜」
「お〜い、そこの浅葱の着物の姫さ〜ん」

建物は湯屋だった。
湯屋の二階は男達の休息所になっていて、湯上り後のひと時を
その場で過ごすものが多い。
女子の社交場、情報収集の場が井戸端であるならば、男にとっての社交場は
この湯屋であり、髪結い床だった。
ここに来るまでにも髪結い床の前を通った時に、散々セイは声を掛けられたのだ。
美人の小町娘に若い男が声を掛けるのはごく普通にある事で、
特にしつこく絡まれるわけではない。
馴れた娘であれば一言二言気の利いた答えをして互いに会話を楽しむし、
興味の無い娘ならば顔を背けて足早にその場を離れる。
ただそれだけの事なのだ。

それだけの事なのだが・・・総司は面白く無い。
自分が大切に抱えていた宝物が、無造作に扱われているような不快さを拭えない。

「お〜い!」

相変わらず止まないその声に、苛立った総司が脇道に入った。

「あっ・・・」

小さな声と共に、セイが慌てて後を追う。
大通りと違って人の姿の無い小路であれば、並んで歩いた所で
人目を気にする必要も無いと、総司はセイが追いつくのを待った。
美しい女子と隠れるように小路を歩いている所を非番の誰かに見られれば、
あっという間に隊内に広まり、近藤や土方に「相手は誰だ」と五月蝿く問われる
だろうと、わざわざ小路を避け、距離を置いて大路を歩いていた事など
すでに頭の片隅にも残っていない。

「すみません・・・沖田先生・・・」

ぺこりとセイが頭を下げると、髪に刺さった簪がシャラリと鳴った。
その音が総司の中の苛立ちを嗜めるようで、慌てて言葉を捜す。

「い、いいえ。貴女のせいじゃありませんから。気にしないで良いんですよ」

どうにか搾り出した言葉を聞いたセイが嬉しげに微笑んだ。
里乃の家を出てからムッツリと不機嫌そうだった男の後姿を見ながら、
女子姿で共に歩ける事に浮かれていた自分を恥じていたからだ。

「さぁ、早く呉服屋さんでまぁ坊の着物を受け取って、甘味を食べに行きましょう。
 里乃さんお勧めの店なんですから、楽しみですよね〜」

殊更に明るく言いながら、ぽんとセイの肩を叩いた総司が
再び前に立って歩き出した。

「はいっ!」

薄暗い小路に弾けるような返答が響いた。




祇園の外れにある甘味所でぼんやりと団子を口に運んでいた総司の耳に
小さな溜息が届いた。

「はぁ・・・。見事ですねぇ」

少し冷たく感じる風の中を歩いて体が冷えたのか、両手に熱い茶碗を包み込んだセイが、
それでも瞳を輝かせて道の向こうに広がる東山を眺めている。
紅葉の名所と言われる嵯峨野ほどでは無いが、この茶屋から見た東山も
あちらこちらに赤い紅葉が陽に煌き、山々を錦に彩っている。
山肌に点在する堂宇や塔が殊更に秋の風情に情緒を添える。

けれど総司の目には見事な秋の風景など映っていなかった。
呉服屋で正一の着物を受け取ってから足を向けたこの店では里乃の知人だという
店の小女が、セイの着物を見た途端に話は聞いているからと道沿いの最も景色の
良く見える場所へと座を用意してくれたのだ。
確かに景色は申し分ない。
申し分ないが、その場所は同時に道行く人々の目に最も晒される場所でもある。

(勘弁してくださいよ・・・)

半分自棄のような気分で総司が団子に噛み付いた。
通り過ぎる男達の視線がちらちらとセイに向けられている事が気になって仕方が無い。

(あ、またっ!)

――― ちっ!

無意識にしていた舌打ちを聞きつけたセイが怪訝そうに総司を振り返った。
何でもない、と首を振りながら新しい団子を注文するが、内心では
一刻も早くこの場所を離れたくて仕方がなかった。
先程から身なりの良い若い武士が、幾度も総司達の目の前を往復している。
何気ない風を装っているが、セイに全神経を向けている事等見え見えだった。

何度めかに目の前を通った若い武士が再び方向転換して戻ってくる寸前に、
小さく拳を握り締めて何やら気合を入れたのを確認した瞬間、総司が立ち上がった。

「出ましょう」

セイの手を引いて立たせると、先程注文した追加の団子を店の者に包むように頼み、
そのまま自分の羽織を脱いでセイに着せ掛けた。

「え? 沖田先生?」

この男にしては有り得ない事に五皿しか団子を食べていない。
それに驚いたセイが空になった五枚の皿と総司を交互に見て慌てて問いかけた。

「お加減でも悪いんですか?」

「いいから!」

包んで貰った団子を片手に持ち、もう片手でセイの肩を抱えるようにして店を出ると
目の前で呆然としている件の若い武士に鋭い眼差しを向ける。

(あなたになんて、神谷さんに話しかける機会はあげませんっ!)

男がセイに近づくきっかけを作ろうと気合を入れた事など見ていればわかる事だ。
だがそんな機会は永遠に与えるつもりなどない。
ぴりぴりと周囲を威嚇する気を放ったままの総司が、おたおたと混乱するセイを
引きずるようにして、東山に続く小道へと足を踏み込んだ。


「あの・・・、敵、ですか?」

囁くようなセイの言葉を聞き、ようやく手の中の小さな身体が緊張感から
固く強張っている事に気づいた総司が我に返った。

「え?」

「殺気は感じませんけど・・・」

そっと周囲の気配を窺っているセイを見下ろし慌てて総司が手を離した。
確かにあんなに唐突に店を飛び出せば、何事かとセイが不安になるのも当然だろう。
同時に自分の羽織をセイに着せ掛けた理由に思い当たって総司の顔面が紅潮した。

(見せたくないなら隠してしまえばいい。私の物だと見せつけてやればいい)

「ああああああ・・・・・・」

「先生?」

真っ赤になったまま立ち尽くし、奇妙な声を上げている男を
セイが気遣わしげに見上げてきた。

「な、何でもありませんっ! 貴女に見せたい場所があった事を思い出しただけです。
 敵では無いので安心してくださいっ!」

どうにか内心の混乱を押し殺して告げた総司の言葉を聞いて、
セイが少し不審気に、それでも小さく頷いた。




東山の中腹にある小さな木戸を押し開けた総司に続き、中に入ったセイが息を飲んだ。
赤や黄に染まる木々が点在する庭は一面に濃い緑の苔に覆われている。
押し寄せる色彩の中に細心の気遣いで配置された庭石と踏み石が
全体に落ち着きと清雅さを感じさせ、完璧な美の世界を作りあげていた。

「凄い・・・。きれい・・・」

西本願寺や黒谷などの大寺院の庭も見事に手入れされた勇壮な美しさを
かもしだしているが、ここの繊細さはその対極ともいえるものだ。
京独特の狭い世界に全き小宇宙を作り出す、それの完成形かもしれない。

溜息を吐いていたセイが、はっと気づいて隣に立つ総司を見上げた。

「こんな場所、どうして?」

総司が知るような場所ではない。
美しいものを美しいと感じはしても、それ以上記憶に残すような男では無い事を
誰よりもセイが知っている。
隊の調べで訪れた事があろうとも、後々まで記憶に留めたりしないはずだ。

「以前具合を悪くした尼様を町中で見かけて、こちらまで送って来たんです」

「え? ではここって尼寺なんですか?」

男子禁制の尼寺に男である総司が入り込んで構わないのか、と
焦ったセイに首を振った。

「尼寺ではなく、庵だそうです。隠居所、とも言っておられましたね。
 ですから構わないのだそうですよ。現に下仕えの方に男性もおいでですしね。
 時折甘味を携えて、話し相手にお邪魔しているんです」

言葉と同時に庭に面して建てられている小さな庵の影から
竹箒を持った男が姿を覗かせた。
そちらに小さく会釈をした総司が「少し待っててくださいね」と
セイに言い置いて、男に歩み寄っていく。
持っていた団子の包みを手渡しながら二言三言言葉を交わして戻ってきた表情は
どこか残念そうだった。

「尼君はお出かけで夜にならないと戻られないそうです。とてもサバサバとして
 気持ちの良い方だから、神谷さんに会わせたかったんですけどねぇ」

全身で“がっかりです”と表現している総司の姿にセイが噴出した。

「沖田先生ってば。こんな姿でお会いしたら、これ以降は二度とお会いできなく
 なっちゃいますよ。今度きちんと本来の姿でご挨拶に参りましょう?」

「本来の・・・?」

浅葱の着物を纏った美しい娘が目の前で微笑んでいる。

これがこの人本来の姿なのではないのか。
町を歩けば誰もが目を向けずにいられない美しい容姿と、弱く儚い者達に
惜しみなく情を傾ける優しさに満ちた存在。
白刃を振り上げ血の雨の中を駆け抜ける、あの姿こそがかりそめの物。
本来の姿を歪に歪ませているのではないのだろうか。

複雑な表情で黙り込んだ総司に気づかぬように、再び庭へと視線を向けたセイが
勢い良く言葉を継いだ。

「はいっ! 沖田先生配下の神谷清三郎として、きちんとご挨拶いたしたく存じますっ!」

ピンッ! と、総司の胸の琴線を弾く声音だった。
清々しい響きはグルグルと迷いに満ちた総司の思考を一瞬で断ち切った。
凛と背筋を伸ばした姿は気高い芳香を放つ白百合を思い起こさせる。

総司にようやく見えた気がした。
確かに美しい人ではあるがずば抜けて造作が整っている訳ではない。
欲目を加えても傾城の美女という程では無いこの娘が、ただ歩くだけで
あれほど誰の目をも惹きつけてしまう理由が。

内面にある神谷という武士の気高さが、伸ばした背筋から、輝く瞳から、
薫香となって滲み出すからだ。
美しい容姿と放たれる香気。
目を惹かれないはずがない。

そしてその気高さの根源にあるものが、新選組隊士であり己の配下である
神谷清三郎としての矜持だというのなら、武士としてのこの人もけして
歪ではないのかもしれない。
武士であろうとするこの人を。
武士として存在する間だけでも自分が独占する事が許されるのかもしれない。
うつくしい着物を纏ったこの娘の姿を周囲の目から隠すために着せ掛けた
自分の黒い羽織のように、この人の真の姿を誰の目からも晦(くら)ませたいと
心から願った。

ふっと喉の奥で吐息だけで笑った総司が、改めてセイを見つめた。

「ねぇ、神谷さん・・・」

「はい?」

小首を傾げる仕草はあどけない少女のもの。

「今日一日、私ってばすごく不愉快だったんですよね」

「はぁ・・・」

一緒にいて総司の苛々とした気を感じていたセイだ。
けれど理由がわからず困惑していただけに、その原因を語ってくれるというなら
黙って聞こうと総司に向き直った。

「だって神谷さんってば綺麗すぎて、男達がみんなみんな貴女を狙ってるんですから」

「・・・・・・・・・はぁっ?」

「ほら、気づいて無い」

素っ頓狂なセイの言葉を聞いた総司が唇を尖らせた。
自分だけが愛でる事を許されるはずの姿を、うっとり見つめてきた
男達の眼差しを思い出せば、何度でも不愉快さが甦る。

「いや、あのですね、沖田先生。髪結床や湯屋の前でからかわれはしましたけど、
 それはこの派手な着物のせいで、ですね」

真っ赤になりながら、あわあわと言い訳を始めたセイの肩をがっしりと掴んだ総司が
言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

「違いますよ。確かにその着物は美しいけれど何よりも彼らを引き寄せるのは貴女です。
 貴女本人です。そしてその着物が尚更貴女を引き立たせる」

「えっ? あの、えっ? な、な・・・」

セイはすでに顔や首筋だけでなく手まで真っ赤に色づき、
まともな言葉も口に出来ない。
野暮天が無意識に口にする本音ほどにタチの悪いものは無い。
一切の照れも躊躇いもそこにはなく、ただ思ったままの本音をぶつけてくるのだから。

「だからね。もうその着物は着ないでください」

にっこり、と音が聞こえるような笑みと共に口にした男が、一瞬何か考えるように
視線を空に投げて言い直した。

「私以外の人の前では・・・その着物は着ないと約束してください」

「は、はぁ?」

「返事は?」

「え、ええと・・・」

「神谷さん?」

「あ、は、はい・・・」

「絶対ですよ?」

「はぁ・・・」

「じゃぁ、里乃さんの家へ帰りましょうか」

「はい・・・」

何が何やら理解できず混乱したままのセイの肩を抱いて
暮れかけた東山を後にした総司だった。






この後、里乃の家で着替えをするセイから一連の総司の言葉を聞きだした里乃が
大笑いした挙句、また二人でこの姿で出かければ良い、と言ったのを聞いて
総司が断固拒否と言い張った事。

ぐるぐると悋気に踊らされた挙句、独占欲全開だった自分の言葉を思い出した総司が、
セイが着替えるのを待つ間に恥ずかしさから悶絶しかけた事などはまた別の話。


全ては優しい女性の逆鱗に触れる野暮天男の一言から始まった事。
可愛い弟分がどれほど可憐な娘であるか、とことん身に沁みればよいと
全てを膳立てた里乃の思惑に、自分が散々翻弄されたのだと
男が気づくのは少しの後。

まっこと女子を怒らせてはなりませぬ。




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