時待ちの風 後編
――― ザッザッザッ
規則正しい足音が静まり返った深夜の町に響いてゆく。
その先頭に立った総司は、周囲に目を配りながら昨日の事を思い出していた。
自分の普段と違う様子を既にセイは察していたようで、茶屋で団子を食べている時も
チラチラと不安そうに視線を投げてきていた。
始まりは妙な夢だったけれどそれはきっかけに過ぎず、本質的な原因が
他にある事にはもう気づいている。
抱きしめたい、守りたい・・・そう感じる理由など一つしかない。
けれど。
すっ、と総司の眼が細められた。
同時に意識から今までの思考が排除される。
五条の橋まであと僅かという場所で、路地に紛れこもうとする影に声を投げ、走り出す。
「待ちなさい!」
背後に続く隊士達の気配を感じながら人影が消えた路地へと走りこむ。
――― ダンッ!
大きな音が辺りに響き、続いてガタガタと騒がしい音が遠ざかろうとしていく。
「裏へ逃げたかっ!」
誰かの声が上がるより先に総司は隊を二つに分け、一隊はこのまま後を追わせ
自分はもう一隊を率いて一筋裏の通りへと向かう。
駆けつけた裏手には総司の予想通り、どこかの家の戸を押し破って
裏手から逃走しようとした不審な男達がいた。
突然現れた新選組の姿に驚き、男達は無言のままで背を向け走り出す。
追いついたのは五条の河原だった。
三人の男達は総司の敵にもならず、それぞれが数合も打ち合わぬうちに地に這い、
捕縛された。
「やれやれ・・・」
眠りに落ちている町で騒ぎを起こしたくなどないものを、と溜息を吐きながら
月を見上げた時、自分を呼び立てる切迫した声が聞こえた。
そちらへ視線を向けた総司の眼が見開かれる。
闇空にもわかる黒煙。
「沖田先生っ! やつらが逃げる途中で火を!」
追いついてきた隊士の一人が叫ぶのを聞くと、弾かれたように総司が走り出した。
「これは・・・」
追いかけてくる総司達を足止めするために男達は火を放っていたらしい。
本来であればすぐにも消し止める事が可能だったはずの炎は、
おそらく男達の予想以上の速さで燃え広がったのだろう。
ここ暫く雨が降らなかったせいで町はからからに乾燥していたからだ。
「消火と近隣の人々の避難を! 早く!」
矢継ぎ早の指図をする総司の前では、既に火元の家を挟んで両脇の家から
炎が上がっている。
不幸中の幸いというべきか、風が弱いために飛び火する心配は薄そうだったが
それでも早く消火しなくては大火の危険性は充分にあった。
重ねて消火を急ぐように指示を出そうとした総司の耳に、子供の泣き声が届いた。
「子供がいるぞっ!」
燃える二階建ての商家。
その屋根の上に子供が蹲っている。
一階から迫ってきた炎に追われたのだろうか、屋根裏から天井を打ち壊し
瓦を叩き壊して火の手の及ばぬ場所へと逃げたのだろう。
幼い子供にできる行為ではないはずだが、それをしただろう大人の姿は
その場には見えない。
――― ドンッ!
子供の背後から火柱が上がった。
屋根に上がるために開けた穴が通気孔の役を果たしてしまったようで、
階下の火勢も増してきている。
火の回りの速いのは裏手側らしく、正面に当たるこちら側は幾分か火勢が弱いと
見て取った隊士がどこかから運ばれてきた長い梯子をかけた。
総司が周囲を見回すまでもなく、セイと眼が合う。
炎に舐められ脆くなっている家屋に上るには、少しでも身が軽い者の方が
望ましい事はいうまでもない。
同じ事を考えていたらしいセイが強く頷いて身を翻すと梯子を登りだした。
「誰か! 布団を! 急いで!」
一瞬たりともセイから眼を離さずに総司が叫ぶ。
その間にもセイはスルスルと屋根に上がった。
もうもうと立ち上る黒煙の中に時折炎の煌きが混ざりこむ。
息を整えながら一息に梯子を登ったセイが屋根に上がると、
火に炙られている瓦は火傷するほどの熱を持っていた。
セイはそろそろと足場を確かめながら、そこに蹲ってか細い泣き声を上げる
幼児に近づいていく。
「もう大丈夫だよ」
小さな身体を引き寄せると泣き声が一際大きくなった。
白い寝巻きを纏った幼子の頬にも指先にも火ぶくれができているが、
大きな怪我は無いようだとセイは安堵の吐息を吐き出した。
「神谷っ!」
下からかけられた声にそちらを見下ろすと、避難する人から借り受けたのか
布団を大きく広げた仲間達の姿が煙の隙間に見えた。
大きくそちらに頷き返したセイが幼児の背中を軽くトントンと叩いた。
「いい? 絶対に助ける! お兄ちゃんが絶対に助けるから、話を聞いて!」
煙のせいか涙のせいか真っ赤に腫れた瞳がセイを見つめてきた。
「少しの間だけ泣かないで。口を閉じて、歯をグッと噛んで。できるね?」
涙に濡れた頬を拭うように撫でると小さな頭がコクリと動き、
グッと唇を引き結ぶ様子にセイの頬が綻んだ。
本当はもう少し宥めて落ち着かせてあげたい。
けれど足元からは今もメキメキと木材のきしむ音が伝わってくるのだ。
瓦の下では劫火が室内を蹂躙しているのだろう。
頭上から降り注ぐ火の粉も急げとばかりに量を増す。
時間が無い。
見つめてくる瞳に手を翳す。
「眼もしっかり閉じて。大丈夫だからね。絶対に大丈夫だからねっ!」
離した手の下の瞼は閉じられていた。
それを確認して、セイは小さな身体を空へと投げた。
白い寝巻きを纏った小さな身体が放物線を描いて地上の布団に吸い込まれていくのを、
総司は眼の端で確認する。
自分の部下達の事は信じている。
落ちてくる幼子を受け止めそこなう事などありはしない。
それゆえ視界の中心にセイを据えたままでいられるのだ。
だからこそ、異変に真っ先に気づいたのは総司だった。
――― メキィッ!
子供を受け止めた男達の歓声をかき消す音と同時に、
梯子が掛けられていた部分の屋根が崩れ落ちた。
その崩落はすぐにセイの足元にも及ぶ。
「神谷さんっ!」
轟々と音を立てる炎の狂歌も、崩れ落ちようとする建物の末期の叫びも
周囲から上がる怒声や悲鳴も、響いた声以外セイにとっては全てが無になる。
自分だけを見据えて呼ぶ男と眼が合った瞬間、セイは瓦を蹴りつけ、
大きく腕を開いた男の懐へと跳んだ。
背後の建物が炎の塊と化し、轟音と共に崩れ落ちる。
熱風がセイの髪を焦がし、背中を激しく叩いた。
ぐっ、と息が詰まった時、次の衝撃は正面から来た。
――― どんっ!
華奢な身とはいえ人の身体は重たい。
それを受け止めた勢いで総司が背後に倒れこんだ。
ごほっ、げほっ・・・腕の中で何度も咳き込む背中に手を回し、
ゆるゆると撫でながら無事を確かめ、大きく息を吐き出した。
「・・・・・・よく、やりましたね・・・」
ようやく出した声にセイが顔を上げた。
瞳は潤んで身体は微かに震えている。
無理も無いだろう。
いつ崩れるとも知れない場所にいたのだから。
背を撫でていた腕に力を込めて抱きしめると、セイの細い腕が総司の首に回された。
(これはいつかの夢と同じ・・・)
けれど自分の中にある感情はあの時とは全く別のものだった。
鼓動は走り出さず、不可解な熱は上がらない。
ひたひたと身の内に満ちるのは穏やかで優しい温もり。
「お疲れ様でした、神谷さん」
もう一度強く抱き締めて囁けば、輝くような笑顔が向けられた。
セイの背後に立ち上る紅蓮の炎が、一際輝いたのを最後に終息へと向かいだした。
「沖田さん」
「ああ、斎藤さん」
「昨夜は神谷が大活躍だったようだな」
夜番明けの仮眠から目覚めた総司が井戸端で顔を洗っていると、
斎藤が声をかけてきた。
「ええ。凄かったですよ。炎を従えた阿修羅が空を舞って・・・」
うっとりと眼を細める男を斎藤は無表情に見つめた。
ほんの数日前までの挙動不審さは微塵も感じられない。
「・・・神谷と和解したのか?」
「は?」
唐突な斎藤の言葉に総司が首を傾げ、ここ数日の自分の行動を思い出した。
「あはは、和解なんてしてません。別に諍いがあった訳じゃないですし。
ただ少し私が混乱してしまっただけですから」
「混乱した?」
「ええ・・・」
苦笑交じりに頭を掻く総司を斎藤が見つめる。
「いずれは・・・という想いに気づいて、それを“今”にしたいとどこかで
願っている自分が認められず混乱してしまったようです」
「・・・・・・・・・」
わけがわからない様子の斎藤に、総司も説明するつもりはない。
いずれはあの花のような笑みをこの手に包み込みたい。
できることなら今すぐにでも。
そんな想いが自分の心中に芽生えていたのだろう。
だからこそ、あんな夢を見た。
その気持ちを認めたくなくて、目を逸らそうとした挙げ句の逃避行動。
今考えれば噴飯ものだ。
逃げようとも隠れようとも、生まれた想いは消えはしない。
消せない確固たるものが互いの間にあるのだから。
セイの姿が炎に呑まれると見えた時にも、全く不安は感じなかった。
自分が腕を広げて呼べば、あの人は絶対にこの腕の中に戻るのだという思いに
欠片ほどの揺らぎも無かったからだ。
そしてそれが間違っていない事を、自分だけを見つめて飛び込んできた
愛しい人が証明してくれた。
恋情を湛えた瞳に見つめられるのは今でなくとも良い。
今は、まだ。
「沖田先生っ! 兄上っ!」
昨夜の疲れからか珍しく総司よりも後に目覚めたセイが、
手拭を振りながら駆け寄ってきた。
「おはようございますっ!」
「ああ」
「おはようございます。神谷さん」
自分達の間にあの強い絆がある限り、今はまだこの輝く笑顔を守っていたい。
大きな瞳に自分が映っているのを確かめながら、総司は満足気に微笑んだ。
前編へ
背景 :
八万打感謝リクエスト第二弾。sasane。様が声をかけてくださいました。
『セイちゃんとラブラブしてる夢を見て情けなく挙動不審になっていた総司さんが、
何かの事件に一番隊組長の顔に戻ってカッコよく手柄を上げちゃうようなお話』
というリク内容だったんですが・・・が・・・が・・・(大汗)
sasane。さん・・・スミマセン。な、ナンか違うもんができちゃったんですけど・・・。
カッコ良いのは総司でなく、セイちゃん? 手柄を上げたのもセイちゃん?(ぼそっ)
い、いやぁ〜〜〜、海辻の書く総司はいっつもグルグルするのがお約束なので、
そういう事と諦めていただければ・・・ご、ゴメンね(汗)
お題から外れてしまったのでご満足いただけないかもしれませんが、
これでも必死に書いたのでお許しくださいませ。
背景等のパーツ以外はsasane。さん限定お持ち帰りOKですので、お好きになさってください。
未熟者の駄文ですが楽しく書かせていただきました。
リクエスト、ありがとうございました(礼)