神遊びの夜 ―― 秋宵宴 2





京を囲む山々は鮮やかに色づき、樹は少しずつ葉を落とし、秋は深まっていく。

そんな中、秘密裏に同盟を組んだ薩長を筆頭に反幕派の動きは徐々に表立ち、
幕府を脅かし始めていた。

当然ながら動きを察知している幕府側も黙っている訳ではない。

新選組にも守護職である会津公から直々に、巡察強化の命が下っていた。

それでもセイの『護衛任務』は取り下げられる事がない。

「いいか、神谷。休息所で近藤さんが寛げるよう、お孝を不安にさせるような
 余計な事は一切言うなよ」

珍しくセイを呼びつけた土方が、わざわざそう釘を刺してくるところを見ると、
また近藤は胃を痛めているのかも知れなかった。

会津公のお伴に自ら出向いたり、要人警護に隊士を派遣したり。

不逞浪士出没の情報を得れば速やかに一隊を下阪させるなど、名を挙げた昨今の新選組は
何かと忙しく、近藤の心労も重なっているのだろう。

一部でまことしやかに囁かれている噂では、実家からの危急の報せに数日の休暇を
申請した隊士が、土方から散々嫌味を喰らった挙句に却下されたとか。

いくら鬼副長でもそこまでは、と土方本人を知るセイなどは思うのだが、
普段接する事の少ない隊士などは、本気で信じている節がある。

とにかく新選組の大幹部があからさまに神経を尖らせる程、佐幕派と勤皇派の間に
緊張が走っているのは事実らしい。


そして平隊士に過ぎないセイも、個人的な事情から心乱れる日々を送っていた。

自らの異変に気づいてから半月近く過ぎていたが―――――いまだにお馬は来ない。

まさか。

でも。

けれど、事情が事情だけに、誰かに相談する訳にもいかない。

不確定な状態で容易に口に出せる事柄でもない。

そう思って努めて平静を装ってはいるが、セイは内心ひどく焦っていた。

もしも赤子が出来ていたら。

いったい、自分はどうするつもりなのだろう―――――?

けれど、あの夜の決断を後悔などしていない。

大和の神にとっては悪戯だったとしても。

ずっと想い続けてきた総司と、女子として触れ合えた。

自分だけを見て貰えた。

確かに幸せな時間を得たのだと、胸を張って言える。

ただ、これからどうするべきなのか。

今はまだ、何も考えられない。


いつものように給金が出てすぐ、お里の元へ生活費を渡しに行った時。

しばらく『休暇』を取っていない事への追及が怖くて、セイは玄関先で袱紗ごと金を手渡すと、
お茶を勧めるお里を断り、ろくな会話もせずに逃げ帰ってしまった。

あれではお里に勘繰られても仕方ないだろう。

失敗したと思いながら、セイは知らず溜め息をついていたらしい。

「どうなさいました? 神谷様」

いきなりお孝の顔が近くにあって、セイは思わず身を仰け反らせた。

「は、はいっ?」

思わず間抜けな声を上げてから、周りに視線を巡らせたセイは、局長妾宅に居る自分に気づいて、
慌てて姿勢を正す。

「すみません、ちょっとぼんやりしてました」

肩を狭めて謝罪するセイに、お孝はまだ心配そうに顔を傾ける。

「ですが、今日は何度も溜め息をついておられますわ」

「あ……はは。ちょっと私事で、気がかりがありまして……」

少しばかり手先が不器用なお孝は、毎回セイの指導の元、奮闘しながら二枚の丹前を
並行で縫い進めている。

実は後日改めて太物屋に行った際、生地選びにはしゃいで迷った孝は、
自分と近藤の丹前を揃いの柄にしたいと思い立ってしまったのだ。

そして手先の不器用さは自覚があったらしく、自分の分で練習をした直後に近藤の分を縫えば、
見栄えの悪いものにはならないだろうと、セイに願い出た。

『沖田様には申し訳ないのですが……。どうか孝の我が儘をお許しください』

近藤が男泣きして喜ぶだろう申し出に、セイに異のある筈もなく。

事後承諾となった総司も、残念だと言いつつ、笑って納得した。


お孝と一緒に過ごしていると、新選組が緊迫の最中にある事、そして自分が隊務中である事さえ、
忘れてしまいそうになる。

自分の考えについ耽ってしまったのは、懸命に針を進めるお孝を見ているうちに、
羨ましくなったのかも知れない。

妾であるが故に、近藤の愛情次第では、明日をも知れぬ不安定な身の上ではあるが。

妾だからこそ、遠い江戸に残された妻と違い、舅や姑の柵に囚われる事なく、
ただ近藤の傍に侍る事が出来る女子。

今は唯一の愛妾として、何を憚ることもなく近藤への愛情を口に出し、
愛しい男の為に尽くせるその姿に。

セイはつい、我が身を鑑みてしまう。


「―――――本当に神谷様は、いつ見てもお綺麗ですね」

「はいっ?」

突然そんな事を言い出したお孝に、セイは目を丸くする。

「近頃なんだか憂いを帯びておられるのが、ますますお美しくて」

「…お孝さん……?」

褒められても何もお出しできませんよ、と苦笑したセイに、お孝は針を始末すると、
その前にきちんと座した。

「ごめんなさい。実は神谷様の『如心遷(やまい)』の事、旦那様から伺いました」

「ああ……。別に隠している訳ではありませんから」

悪戯を告白する童のように項垂れたお孝に、セイはやわらかく微笑んでみせる。

「ご覧の通り、新選組隊士としては貧弱な体躯です。それでも『武士』でいられる限り、
 近藤局長や先生方に誠心誠意お仕えする所存ですので」

「いいえ。武士は強く優しく在るべきだと、父がよく申しておりました。
 神谷様は本当の武士でおられますわ」

でも、と言いながら、お孝はセイの手をそっと握った。

「深雪姉さまに去られて孝が一番辛かった時、神谷様は親身になって励ましてくださいました。
 ですから神谷様が困った時は、どうか孝を頼ってくださいませね」

まっすぐに見つめる大きなその瞳には、いつもの好奇心はなく、ただ労わりの気持ちが宿っている。

「………ありがとうございます、お孝さん」

心からそう告げたセイに、お孝は嬉しげに顔を綻ばせた。

「きっと、約束ですよ?」

「はい」

微笑みあいながら、セイは心の中で、一つの答えを導き出していた。









**********









秋から冬への移ろいを感じられる、中庭の池に薄氷が張った日。

昼餉を終えて膳を下げに厨に入ったセイを、何故か青い顔で身を縮めた
丸顔の小者が待ち受けていた。

隊士にはなれなかった為、今は医務室で皆の世話をしてくれている、江戸生まれの温和な男だ。

「神谷さんにお話が………」

深刻な顔でそう切り出され、とりあえずセイは小者を庭に連れ出した。

「―――――どうして沖田先生まで来られるんですか」

途中、足を止めて振り返ったセイから胡乱げな眼差しを向けられ、

「だって貴女。放っておくと一人で何しでかすか、分からないじゃないですか」

総司は、上司としての務めです、と両手を腰に当てて胸を張った。

その言い様にむっとしたセイは眉根を寄せる。

「呼ばれたのは私だけですよ?」

「隊務関係の話なら、私がいても不都合はないでしょう」

あやうく言い合いになりそうな二人に、小者が慌てて割り入った。

「いえ、神谷さん。沖田先生にも聞いていただいた方がいいと思いますんで、
 むしろ私からも同席をお願いします」

そう言って小者は懐から出した一冊の本を差し出す。

「これなんですが………」

水に濡れたものを乾かしたらしいそれをセイが受け取ってぱらぱらと捲ると、
墨が滲んで半分以上の文字が読めなくなっていた。

「…え……!?」

ふと目に入った文字に、慌てて表紙を見直すと、セイは絶句した。

それは松本から借り受けた医学書を、必要箇所だけ書き写した抜粋本の一冊だった。

よく使う薬の調合などもあるので、写本屋に頼んで肝心な分量を間違えられては、
とセイが自ら何日も写本に励んだ努力の結晶である。

「…おやまあ、これは……どうしたんですか?」

呆然と立つセイの後ろから本を覗き込んでいた総司が、代わりに話を促すと、

「本当に申し訳ないお話なのですが」

悲壮な表情をした小者は、平身低頭のまま経緯を語った。


昨夜遅く、巡察途中で目眩と吐き気を訴えて帰営し、医務室を訪れた隊士の為に
床を延べている時の事。

袴を脱いでいたその隊士が体勢を崩して棚にぶつかり、捕まろうととっさに伸ばした手で、
そこにあった本の山を畳へと薙ぎ払ってしまった。

そして運悪く、近くにあった手桶に件の本が水没してしまったという。

慌てて取り出して拭いたものの、水と馴染んだ墨文字が元に戻る筈もなかった。


「それはまた………不運としか言いようがないですねぇ」

「本当に申し訳ありません」

「そんな。誰も悪くないし、仕方ないですよ」

小者の頭を上げさせながら、セイもなんとか微笑ってみせた。

「大丈夫。また写せば済む話ですから。気にしないでください」

そう言って小者を帰すと、二人は無言のまま隊部屋へ足を向ける。

「……しかし、ポトガラ以来の珍事ですねぇ」

並んで廊下を歩きながら、セイの複雑な心中を察した総司が、宥めるようにぽんぽんと背中を叩く。

気持ちを切り替えるように深呼吸を一つしてから、セイは総司を見上げた。

「沖田先生。ここのところの捕り物で、一部の常備薬がもう少ない筈なんです。取り急ぎ写本を
 しなければなりませんので、今から木屋町へ行くお時間をいただけませんか」

「ええ。これも大切な仕事ですから、いっていらっしゃい」

「ありがとうございます。すぐに本をお借りして戻りますので」

急いで写し間違えては本末転倒ですしね、と微笑ったセイは、とりあえず気持ちの
整理がついたらしく、闘志の拳を握っている。

「せっかくですから、貴女の美味しいお茶を淹れて、ゆっくりお話ししておいでなさい。
 松本法眼とも、久しくお会いしていないでしょう」

「いえ、法眼とは先じ」

言いかけて慌てて口を噤んだセイに、

「せんじ?」

総司は不思議そうにその顔を覗き込む。

「ああ、いえ。何でもありません」

ほんのり頬を紅潮させたセイは、顔の前に両手を広げながら、軽く振って見せた。

「私が法眼の前に座ったら最後、何かしらお説教されるだけだと思いますけどね。
 でも、お詫びにちょっといい菓子折りくらいは持参します」

つい先日、私用で医学書を覗きに仮寓へ行ったばかりだとは言えず、セイはそんな言葉で話を濁す。

「沖田先生にも、御裾分けを少しいただいて来ますから」

止めに菓子で話を逸らせると、総司は心底嬉しそうに微笑った。

普段は迷惑に思える甘味への執着も、こんな時はありがたい。

「では、副長へは私から報告しておきます。今日の巡察は七つですから、
 間に合うくらいに戻ればいいですよ」

「いくらなんでもそんな暢気にしていられませんよ」

苦笑いしたセイは羽織を掴むと、いってきます、とそのまま屯所を出て行った。







*****







木屋町の仮寓では、松本が自らセイを出迎えてくれた。

「おう、また来たのか。新選組はよっぼど暇らしいな」

皮肉を口にしながらも、松本は何処か嬉しそうな顔をする。

先日は前々から約束していた来客が直後にあって、珍しくセイが訪ねて来たのに、
ろくに話も出来なかったのだ。

その上、書庫に籠もっていたセイは、いつのまにか帰っていて。

晩酌の酒を片手に松本がぼやいていたのは、南部だけが知る事実だった。

「私だって、こんな用件で伺いたくはなかったですよ………」

可愛らしく口を尖らせたセイは、薬の調合中だった南部にも挨拶を済ませると、
先にお茶を淹れますね、と厨に入った。

「で? 今日は何の用でぃ」

セイが持参した京でも老舗の菓子折りの箱と煎茶を真ん中に向かい合った松本は、
面白そうにそう問うた。

幕府御典医である松本にはそれなりに情報が入る為、実は新選組が多忙なのは承知の上だ。

そんな中、セイがわざわざ時間を割いてまで自分を訪ねるからには、
それなりの事情がある事も察せられる。

「実はですね」

菓子折りの隣に変わり果てた写本を並べたセイは、事実のみを簡単に述べる。

「………そんな理由でして。急いで写本しなければなりませんので、
 医学書をしばしお借りしたいのですが」

「おう。そりゃ構わんが………おまえも大変だな」

「仕方ないです、もう諦めはつきました。もう一度写本する事で、いっそ暗記出来れば
 いいんですけどね」

「そんなもん暗記した日にゃ、他の何かが脳から溢れ出ちまうだろう」

豪快に笑った松本は、セイの近況を問い、知人である近藤らの話へ耳を傾ける。

「………ああ、そういや。薬と言やぁ、玄庵さんが昔なぁ」

松本が若き頃の玄庵との思い出話を思いつくままに語り、父が生きていれば
聴く事もなかった逸話に、身を乗り出したセイが嬉しげに相槌を打つ。


おおよそ一刻が過ぎた頃、南部への客が訪れた事で、セイは名残惜しく腰を上げた。

「すっかり話し込んでしまってすみません。私はこれでお暇しますので」

「ああ。いっぺんに写そうとすると焦るだろう。足りない薬は分けてやるから、
 持って行くのは一冊ずつにしとけ。それから」

中身を半量にした菓子折りを指しながら、松本はにやりと笑ってみせた。

「帰るならあれも忘れるなよ。どうせ沖田がおこぼれを待ってるんだろう」

言い当てられて、セイは苦笑いをしてしまう。

「ありがとうございます。次回の手土産は諸白にしますね」

「ああ、当てにしないで待っててやる。そういや、この間の南瓜の菓子も美味かったぞ。
 甘党の南部がえらく喜んでた」

「では、また何か作ってきます」


茶器を片付け、帰営前にと厠を借りたセイは、すぐに松本の自室に舞い戻ってきた。

「おじちゃん、あのっ。ぼろ布があったら分けて貰いたいんですけど」

ひどく慌てた様子で部屋に飛び込んできたセイに、火鉢の灰を掻いていた松本は
思わず手を止める。

「構わんが………。何すんだ、そんなもの」

当然の問いにセイは口籠もりながら視線を落とし、

「…その……急にお馬になってしまっ…て………」

そう言いながら、不意にぽろりと涙を零した。

「おい、セイ?」

驚く松本に、セイは慌てて両手でそれを拭う。

「あ……ごめんなさい。………実はここしばらくお馬が来てなかったものだから、
 いろいろと不安になってたみたいで………」

「ああ。それで先日、書庫でこそこそとあの本を読んでたのか」

確かにありゃ屯所には持ち込めないわな、と松本はセイの頭を撫でた。

血の道や妊娠・出産時の注意など、女子特有の病について書かれた医学書は、
いくら『如心遷』の身であっても、武士のセイが堂々と見るには憚られる。

「それにしたって、水臭ぇぞセイ。俺はおまえの親代わりのつもりだ。
 何かあったら一言くらい相談しろ」

「はい……申し訳…」

次々に溢れてくる涙を止められず、セイは懐から出した手拭いで目許を覆った。

「………このまま妾の家へ行くなら、新選組には俺から使いを出してやる」

「いえ。待機命令が出ていますし、巡察の時間も近いので戻ります」

目を覆ったまま、それでも気丈に答えたセイに、

「今のおまえに帰営する資格はないだろう」

命を粗末にするな、と松本は溜め息をつく。

「今夜はここに泊まっていけ。いっそ写本もここで済ませりゃいい。
 おまえが『武士』に戻れるまで、好きなだけ置いてやる」

言い当てられた事実が胸に痛くて、セイはただ頷いた。

確かに今の自分は、『武士』失格だ。


「…はい……。私ったら、本当に情けないな……。……これじゃ…今まで育ててくださった
 …沖田先生…に…顔向け……出来な…ぃ……」

そう言ってしゃくりあげるセイを、松本は黙って自分の胸に抱き寄せる。

―――――月役が来て泣くたぁ、随分と意味深じゃねえか。

口に出した言葉とは裏腹に、痛いような複雑な貌を一瞬だけセイが垣間見せたのを、
松本は見逃していなかった。

別の理由があるのだと察しながら、今のセイに問うには時期尚早だろうと判断した松本は、
鋭く虚空を睨む。

問い質すのなら、誰よりもセイの傍にいるあの男でいい―――――。

「何も考えるな。今は存分に泣いとけ」

その手の温かさに、胸に去来したものに負けたセイは、声を殺したまま泣いた。







*****







七つになる四半刻前。

体調が優れないセイを一晩留め置くという文が、松本から屯所に届いた。

突然どうしたのだろうと気になりながらも、隊務を滞らせる事も出来ず、
総司は一番隊を率いて巡察に出向く。

―――――昼に送り出した時は、あんなに元気だったのに。

けれど近頃のセイは、確かに時折ぼんやりとしていた。

あれは何か不調だったせいなのか。

とにかく巡察が終わらなければ、セイの様子を見に行く事も出来ないと腹を括り、
気持ちを切り替えた総司は、組長としての仕事をこなしていく。


巡察も半ばを過ぎた頃、

「ちょお待ってや、沖田はん!」

商家で宿帳検めを終えて通りを歩き出した総司を、子供の声が背後から呼び止めた。

聞き覚えのある声に振り返った総司は、途端に相好を崩す。

「おや正坊。珍しいですね」

目線で相田に離脱を断り、どうしました、と歩み寄った総司に、仁王立ちした正一は
憤慨した様子を隠さずに口を開く。

「神谷はんは沖田はんと同じ隊なんやろ? あの列ん中におらんかったけど、今どないしてるん?
 新選組は今そんなに仕事が忙しいんか?」

矢継ぎ早に訊ねながら、正一は一番隊の後ろ姿を睨みつける。

どんなに人数が多くても、皆よりも小柄なセイを見間違う事はありえない。

ましてや正一にとってセイは、憎い恋敵なのだから。

「ああ。神谷さんは今日は別の仕事で、隊から離れているんですよ。
 あの人に急ぎの用事でしたら、私から伝えましょうか」

それとも、と総司はやわらかく微笑む。

「何かありましたか?」

そう問うてやると、少年は悔しげに口を開いた。

「………神谷はん、ここの処なかなか泊まりに来んもんだから、里姉ちゃんがえらく気にしとるんや」

まさか浮気してるんとちゃうやろな!? と、正一は目を怒らせる。

「そういえば……久しく休暇申請も受けてませんねぇ」

ふむ、と顎を撫でながら、総司は楽しげに正一を見やる。

「でも大丈夫、浮気の心配はありませんよ。今は仕事が立て込んでて、お里さんには
 申し訳ないですけど、皆が皆、休暇どころじゃありませんから」

「……ほんまに?」

ようやく正一の態度が和らいだのを見て、総司は大きく頷いた。

「ええ。正坊が淋しがってたって、神谷さんに伝えておきます」

「なっ……! 阿呆ちゃうか、そんなんうち言うてないかんなっ!」

瞬時に顔を真っ赤にした正一は、噛み付く勢いで総司に言い募る。

だが、にこにこと笑みを浮かべた総司は、

「はいはい、分かってますよ」

少年の思惑などお見通しだと言わんばかりに頷いてみせるのが、正一にはまた悔しい。

「ほな、うち帰るわ。里姉ちゃん泣かさんよう、神谷はんに言うといてや」

「ええ。神谷さんの留守中は、お里さんをお願いしますね」

「言われんでも分かっとるわいっ」


照れ隠しに逃げ帰る正一の後ろ姿を見送り、ふと真顔に戻って踵を返した総司は、
隊を追いながら記憶を辿る。

現在は新選組全体が忙しくて、休暇申請のし辛い状況ではあるが。

セイの場合は過去の約束を楯にして、土方に報告するより前に、総司が許可をして
お里の家へと送り出してしまえば問題はない。

休暇の最終日には、当たり前のように総司がセイを迎えに行き、一緒に甘味処へ寄ってから
帰営するのが定番になっていた。

次に行く時はもう、熱々のぜんざいが恋しい気温だろう。

前回の生菓子はなんだったか、と考えた総司は、

「…え……?」

脳裏に浮かんだ涼しげな水饅頭に、思わず足を止める。

妾宅近くの甘味処で、今年はもう最後だろうと名残を惜しんだ水饅頭は、
夏しか出回らない生菓子だ。

「……そんな筈は………」

冬が始まろうとしている今。

思えばお里ともしばらく会っていない。

そんなに長い間、お里や正一と疎遠になった事が、かつてあっただろうか。


そう思った時、総司は脳裏を過ぎった記憶にどきりとした。

―――――大和の国から戻って、もう二月余りになる。

セイが休暇を取ったのは、確かその半月以上も前だ。

今まで毎月、決まって休暇を取っていたのに?

「………まさか………?」

どくん、と心の臓が早鐘を打つ。

すぐに確かめなくては。

逸る心のまま木屋町への道を辿り始めたその時、背後で呼子の音が響いた。

どうやら一番隊が不逞浪士に遭遇したらしい。

「……くっ………」

セイの事は気になるが、隊務を疎かには出来ない。

総司は高く鳴り響く呼子の音を頼りに、大通りを走り出した。







*****







捕り物の後始末を終える頃には、辺りはすっかり暗闇に支配されていた。

本来ならば報告の為にも、隊を率いてまっすぐ帰営するべきなのだが、総司は独り、
早足で松本の仮寓を目指していた。

土方には帰営の遅れを怒られるだろうが、セイの不調の正体が気になって、
確かめないまま戻る気にはなれない。

木屋町に足を踏み入れると、ちょうど宴も酣なのか、重なり合う楽しげな笑い声や
三味線の音色が、近隣の茶屋や料亭から洩れ聞こえている。

「ごめんください」

玄関前で総司が声をかけると、ややあって不機嫌を露わにした松本が戸を開けた。

「夜分に申し訳ありません」

すでに寝間着姿の松本に、総司は恐縮しつつ深く頭を下げる。

界隈が明るく賑わっているのでつい失念していたが、他家を訪ねるには
すでに不躾な時分になっていた。

「分かってるじゃねえか。こんな時間になんだ、沖田」

玄関前に出てきた松本は、腕組みをするとじろりと総司を睨みつける。

「すみません、今まで隊務で抜けられなくて。神谷さんの様子を見に伺ったのですが」

「ふん。血腥いその格好(なり)じゃあ、セイには会わせられねぇな」

総司自身は鼻が慣れ過ぎて分からないが、不逞浪士の返り血が散る羽織や袴からは、
血の臭いがしているのだろう。

その場に立ち塞がる松本は、招かれざる客を家に上げるつもりはなさそうだった。

「あいつはひどい吐き気で呻ってたのが、さっきようやく落ち着いたところだ。
 今日は諦めて帰ってくれ」

松本の口から出た単語に、総司はどきりとした。

「吐き気…って、まさか……。あの、神谷さんはどうしたんですか?」

何かあの人から相談されたりしていませんか、と珍しく総司は食い下がる。

今思えば、昼にセイが言いかけた言葉は、『法眼とは先日会ったばかり』
だったのではないだろうか。

密かに医学書を調べ、自分が今現在置かれている状況を、正しく識る為に。


「その分じゃあ、何か心配になる心当たりでもあるんだろう、沖田」

松本の言葉で冷静さを欠いている己に気づいた総司は、目の前の男から目を逸らすと、
くしゃりと前髪を掴んだ。

「いえ……確証もなく私の口から言える事では………」

「そうか? 懺悔なら今のうちに聞いてやるぞ」

至って真顔で言いながら、松本は眼力鋭く総司の顔を見据える。

「例えば、吐き気の原因はおめえがセイを孕ませたのかも知れない―――――とか」

途端に顔を強張らせた総司に気づかないふりで、

「まあ、野暮天のおめえにゃ無理な話だわな。期待するだけ無駄ってもんだ」

懐からセイが持参した菓子折りの箱を取り出した松本は、無造作にそれを総司に押しつけると、
自分の坊主頭を指先でとんとんと叩いた。

「何にせよ、セイの事なら心配すんな。体調が落ち着くまでは、この俺が責任を持って
 ここで預かるからな」

そう言って早くも背中を向けた松本に、総司はそれ以上踏み込めなかった。


本当は、今すぐにセイに逢いたい。

その顔を見て、真実を問いたい。


だが、ここで下手な発言をして困るのは、自分ではなくセイだろう。

何もかも明らかになるまで、セイを窮地に陥れるような真似は、すべきではない。

「………はい。よろしくお願いします」

「ああ、それから。一つだけ教えてやる」

頭を下げた総司の視界に、松本の足が止まるのが見えた。

「セイの奴、『沖田先生に顔向け出来ない』…って泣いてたぞ」

「……え…」

目を瞠った総司に、戸に手をかけたまま振り向いた松本は言葉を投げる。

「俺はセイの父親代わりのつもりだ。玄庵さんへの恩を抜きにしても、あいつを気に入っている。
 だから、いざとなったらあいつが泣こうが喚こうが、強引な手段を使ってでも新選組を抜けさせる。
 いずれは養女にして、手元から嫁に出す心積もりもある」

セイなら引く手数多だろうからな、と言う松本の顔に、いつもの揶揄はない。

「そうなって取り返しがつかなくなる前に、いい加減おめえも決断したほうがいいんじゃねえのか、
 沖田?」

「………私、は」

「セイが武士で在ろうと気張るのは、おめえの傍にいたいからだ。腹の底ではきっと、
 当たり前の女子の幸せを望んでるだろうよ。おめえだって、男として好かれている
 自覚がある筈だ。違うとは言わせねえぞ」

じろりと睨まれ、その眼力に総司は黙り込むしかない。

「武士として誠を貫くのもいいがな。もっと自分自身の心の声を聴いてみろ」

言いたい事を言って、戸の向こうに消えた松本の台詞を反芻しながら。

総司はただ、その場に立ち尽くす事しか出来なかった。







「あれ? 法眼にお客さんだったんじゃ?」

障子の影からひょいと顔を出したセイに、

「ああ、もう帰った」

廊下を歩く松本は、そ知らぬ顔で自分の後頭部を叩く。

「なんだぁ。お茶の支度してたのに」

可愛らしく口を尖らせたセイに苦笑しながら、自室に入った松本は、鉄瓶が湯気を立てる
火鉢の前にどかりと座った。

「そいつぁ嬉しいが、具合はもういいのか?」

「はい。いただいた薬のおかげで落ち着いたみたいです。
 でも、お馬のせいで吐き気がするなんて初めてだったので、吃驚しました」

腹痛はいつもなんですけどね、と腹に手を当てたセイの顔色は、血の気が足りないのか
少しばかり白い。

「血の道はいろいろと難しいからな。お馬の間は無理するなよ」

「本当に、何から何までありがとうございます、法眼」

畳に座して頭を下げたセイを、松本は複雑な気持ちで見つめる。

月代に男装をしていても、再会した頃よりずっとセイは綺麗になった。

それは娘盛りの年頃だからなのか、それとも。

すべては総司を想う故なのか。

当たり前の女子の幸せをセイが掴む為には、あの野暮天男に対して
、多少の画策が必要なのかも知れない。

「ところで、さっき持参したお菓子が見つからないんです。まだ半分ありましたよね。
 お客さんのお茶請けに出そうと思ったのに」

「ああ。手間取らせた詫びにって、今の客に持たせちまった」

悪いな、と謝る松本に、セイは何かを察したように微笑った。

「そうですか。いい薩摩芋が厨にありましたから、明日は何か甘いものを作りますね」

「ああ、楽しみにしてる」

お茶道具を取りに立ったセイの影を障子越しに見送りながら、

「………まったく。手間のかかる奴らだな」

そう呟いた松本は、深い深い溜め息をついた。







   *****







翌朝の幹部会の後、局長室に留められた総司は、しばらくセイが松本の仮寓で
『療養』する事になったと告げられた。

曰く、『如心遷の進行が作用してるかも知れない』との松本の診断に反論も出来ず、
兄分たちの前で総司はただ、黙ってそれを受け入れるしかない。

「それから数日中に特命がある。監察方からの情報が入り次第、発ってもらうからそのつもりでいろ」

「承知」

「とりあえず分かっている事を説明するぞ」

「は」

話を終えて隊部屋へと歩きながら、脳内で下知を反芻した総司は。

これから隊務だと言うのに、何処か上の空な自分に気づく。

―――――本当は今すぐ木屋町まで出向いて、真実を知りたい。

セイの様子を自分の目で確かめたい。

いつ新選組に戻れるとも知れないセイに焦燥は募るが、敬愛する近藤から与えられた
己の立場がそれを赦さない。

新選組の一番隊組長であるという矜持だけが、総司の精神を支えていた。









**********









「では、私はこれで」

一番隊の精鋭数人を引き連れ、十日に及んだ大阪城下での極秘探査から戻った総司は、
近藤と土方を前にした長い報告の後、そそくさと立ち上がった。

「あぁ総司。夕餉の前に、少し三人で呑まないか」

呼び止めた近藤の申し出に、いつもなら顔を綻ばせて喜ぶ筈の総司は、だが、ぺこりと頭を下げる。

「ありがとうございます。でも、神谷さんの様子を見に法眼の仮寓へ伺いたいので」

帰営直後、旅装を解きに寄った隊部屋にセイの姿はなかった。

組下に聞けばまだ、松本の元から戻らないという。

「また今度の機会にお願いします、近藤先生」

言いながら早くも障子に手をかけた総司を、おい、と土方が背後から呼び止める。

「今日はもう止めておけ。おまえも疲れているだろうし、今からじゃ遅くなる。
 松本法眼や南部医師にも迷惑だろう」

「でも。もう半月近くも」

「見舞いに行く度に門前払いだったと聞いたが?」

言いかけた総司を、ぴしゃりと土方が遮る。

「おい、トシ………」

近藤が何か言いかけたが、土方がそれを目で制した。

「おまえは神谷にばかり構い過ぎだ。いくら奇病の身だろうと、天下の幕府御典医に
 預けているのに、何を心配する必要がある」

「………………」

「それに、見舞ったところで、おまえに出来る事など何一つないだろう。
 ならば今日は、自分の身体を休める事を優先しろ」

尤もな兄分の言葉に何も答えられないまま、総司は手元へ視線を落とす。

―――――あの子のお腹の中に、赤子がいるかも知れないんです。

そんな重大な秘密を、不確かなまま近藤や土方の前で口に出す事も出来ず、総司はただ口を噤む。

言ってしまえば、今までのあの子の努力はすべて水泡に帰してしまう。

もしそれが事実だとしても、告白は自分自身でしたいと、セイなら願うだろう。

今までセイを新選組に留め置いた共犯者であっても、当人でない自分が
それを口にする資格は、一切ない。

脳裡に思い描いたセイの笑顔に、総司はきゅっと唇を噛んだ。


下阪前、暇を見つけては仮寓へ日参したものの、

『申し訳ありません。今はまだ、メースから面会を禁じられておりますので……』

毎回そう言って南部が玄関先で頭を下げるばかりで、結局セイには一度も会わせて貰えなかった。

何度目かの訪問時に数種の薬包を渡された事から、ずっと寝たきりではないだろう事が
窺えただけで。

落ち込む総司の代わりに赴いた斉藤も、同様の扱いだったという。

本当に、どうしているのか。

どんなに隊務に集中しようとしても、頭の何処かでセイが気になって仕方なかった。

あの夜の『神事』によって本当に赤子を授かっていたのなら、独りきりでセイを
どれだけ悩ませてしまったのか。

ここのところ続いていた激務の中で、無理をさせてしまったのではないか。

もし赤子が流れるような事態になったなら、母体が危うい場合もあると聞く。

いっそただの体調不良ならばいいが、どちらにしろ早く真偽を確かめたい。

そして本当に赤子が出来ていたなら。

この腕に抱きしめて、安心させてあげたい―――――。


黙り込んでしまった総司に溜め息をついた土方は、指先で顳を押さえた。

「………なあ、総司。おまえは神谷をどうしたいんだ?」

「えっ」

「この際だから正直に吐け」

そう言って土方は自分の前を指し、総司にそこへ座るよう命じる。

「あいつの『如心遷』が今どうなっているのか。俺達の所まで報告は上がってないが、
 お前は正確に知っているんだろう?」

二人の前に素直に端座した総司は、項垂れたまま重い口を開いた。

「…………はい……」

「どれだけ女体化が進んでいるのかはともかく。お前はもう『神谷清三郎』を
 女子としてしか見られなくなっている。そうだな?」

「………その通りです」

「それで、この先あいつをどうするつもりだ」

おまえ自身の考えは、と土方は冷静に弟分を見据える。

嘘や誤魔化しを赦さないその眼差しに、

「―――――誰よりも、大切な人です」

長い逡巡の後、総司はようやく二人へ視線を向けた。


きっと自分の中で、その願望はずっと昔から芽生えていた。

誠を貫く為に女人は不要だと言いながら、あの少女の存在に安らぎを感じて。

あの子を護る為に、先には死ねないと強さを求めた。

そしてこの数日、惑いながらも答えははっきりと出ていたのだから。

それを言霊とする事に、何を躊躇う必要があるだろう。

もはや赤子がいても、いなくても。

この決意は決して揺るがない―――――。


「神谷さんが望んでくれるのなら、正式に私の妻に迎えて。
 これから先の生涯を共に添い遂げたいと、思っています」

「………総司……」

驚きに目を瞠る近藤とは対照的に、

「ようやく素直になったじゃねえか」

満足気にそう言った土方は、怜悧な顔に笑みを刷く。

「その覚悟があるんなら、木屋町へ行っていいぞ。それと、夜遅くに戻られても組下が迷惑だ。
 ついでに外泊許可も出してやるから、しっかり神谷を口説いて来い」

「土方さん……」

「戻ってきたら、ゆっくり話を聞かせてくれよ」

「はい、近藤先生」

嬉しげな笑顔を残し、今度こそ部屋を飛び出して行った総司を見送って、
近藤が土方へと向き直った。

「…トシ……」

「聞いての通りだ、近藤さん」

「だがいいのか? 神谷くんが不在な理由も言わずに送り出して」

「ああ。松本法眼からの文に『沖田には報せるな』とのお達しがあったんでな」

変な指示だとは思っていたが、と呟いた土方は、愉快気に口の端を上げた。

「なるほど。あの意地っ張りな野暮天が自覚するには、いい薬だな」

「???」

意味が分からず目を白黒させる近藤の肩を叩いて、土方は立ち上がる。

「とりあえず、二人で祝い酒でも呑るか」







*****







「ごめんください」

逸る気持ちのまま、暗くなった道を急ぎ歩いて辿り着いた仮寓の前で、
提燈の火を消した総司は深呼吸をした。

赤子でも病でも、真偽はもうどうでもいい。

―――――今はただ、セイに逢いたい。

あの笑顔で迎えて欲しい。

今日こそは松本や南部を押し退けてでも、セイに逢わなくては。

そして、この想いを告げるのだ。

そんな決意を秘めて仁王立ちする総司の前で、

「………やっぱり、沖田先生!」

ほどなく開かれた玄関から、セイ本人が顔を出した。

襷で腕捲りをしたその姿からは、たった今も立ち働いていた様子が窺える。

「え……かっ神谷さん……!?」

「帰京されたんですね、お疲れ様でした!」

小走りに駆け寄ったセイから笑顔を向けられ、総司は胸がじんと熱くなる。

―――――やはり神谷さんは、お陽さまみたいだ。

「ええ………ただいま戻りました」

「もう少しで夕餉の支度が出来るところです。よかったら召し上がっていってください」

一歩引いて家の中へと促したセイの腕を取ると、総司はその小さな身体を引き寄せ、
思いきり抱きしめた。

「おっおおお沖田先生っ!?」

動けない程しっかりと抱きすくめられたセイは、訳が分からないまま目の前の人物の名を呼ぶ。

「神谷さん……逢いたかった…―――――!」

「……それは………私も、ですけど……」

耳元へ熱く囁かれて、真っ赤になったセイは戸惑いながらも本心を口にした。

「体調は? もう普通に動いて大丈夫なんですか?
 帰営しない貴女を、どれだけ皆が心配したか………」

矢継ぎ早な総司の問いかけに、セイは目を丸くした。

「え、あの……。動けないのは私ではなくて、南部医師ですけど」

思いがけない言葉に、総司は思わず腕の中のセイの顔を覗き込む。

「……は?」

「南部医師がぎっくり腰で動けないから、お世話の為に泊り込むと……。
 局長と副長へは法眼から文を出していただいて、きちんと許可を得てます」

「でもあなた、ずっとお馬が来なかったでしょう」

「それはっ……」

ずばりと言われてしまい、恥ずかしさに俯いたセイは口籠もる。

「………実は私も焦ったんですが、先日ようやくありました。ただ、今回は遅れたせいなのか、
 吐き気や腹痛が何日も酷くて」

「え……」

「ちょうどこちらに伺っている最中だったので、そのまま泊まるよう法眼に勧められて。
 ありがたくお言葉に甘えてました」

「……それで……ですか………」


頭の中ですべてが繋がり、ようやく事態を理解出来た総司が絶句する。

つまり自分は、狡猾な二人の男にしてやられたのだ。

真偽に惑う自分を知りながら、敢えて一部分だけ事実を明かした松本の策略と。

予てから弟分とその愛弟子の関係に疑いを持っていた土方の、
尤もらしい誘導尋問に乗せられた―――――自分の完敗だ。


「はは……とんでもない人達だなぁ」

自嘲しながら腕に力を込めた総司に、セイが疑問を投げる。

「沖田先生? どうなさったんですか」

「まだまだ私のような未熟者は、敵わないって事です」

「…あの……?」

一人で納得する総司に戸惑っていると、

「神谷さん」

やわらかい口調で名を呼ばれ、はい、とセイは拘束者を見上げる。

何処か悪戯めいた貌をした総司は、こつん、とセイの額に己のそれを触れさせた。

「貴女が好きです。私のお嫁さんになってくれませんか?」

「えっ」

吐息のかかる距離で囁かれた言葉に、セイが驚きの声をあげる。

「嫌ですか?」

「そんな訳ありませんっ! ……嬉しい…ですけど………」

「けど?」

問い返した総司に、セイはぶんぶんと頭を振った。

「ちょっと待って。落ち着いてください、沖田先生。私に赤子は出来てないんですよ。
 責任を取るとか、そういうおつもりなら」

早口で捲くし立てるセイの口を、苦笑した総司が指で制する。

「分かっていますよ。それでも貴女と添い遂げたいと―――――もう決めたんです」

「決めたって、先生……」

目を瞠ったままのセイは、まだ事態が飲み込めない。

「おい」

問答する二人の背後で、不意に野太い声が不機嫌に発された。

「いちゃつくなら中に入れ」

渋面の松本に促され、二人は玄関先で抱き合ったままだった事にようやく気づく。

「す、すみませんっ」

慌てて離れた二人に、ふん、と鼻を鳴らした松本は、にやりと片頬を上げた。

「決意するのが随分と遅かったじゃねぇか、沖田。
 今夜はいろいろと吐かせてやるから、覚悟しとけ」





                                            3へ続く