会津漫遊妄想全開ツアー報告
2007年8月15、16日
参加者は藤枝さん、美亜さん、奈鳩さん、海辻でした。
1日目
前夜、わくわくドキドキと一睡も出来ぬまま思いの他ご近所さんだった奈鳩さんと6時頃に合流し、
駅前で藤枝さん美亜さんを待つ間にコンビニで買った朝食をもぐもぐ。
「寝てないんですよ〜」 との海辻の言葉に 「実は私もあんまり」 とふたりで笑いあっているところに
「着いたよ〜」 とメールが入り全員集合。
そのまま一路、外環を走り東北道に乗り、目指すは会津!!
藤枝さん奈鳩さんは日野でお会いしていたので何となくどんな方かはわかっていたのですが、
美亜さんという方がこれまたスゴイ方で・・・。
話題も知識も豊富豊富。
サイトの方で作品は拝見していたのですが、あの切ない作品を書かれる方とは思えないほど
テンションが高くて楽しい方でした。
途中でドライバーを奈鳩さんに変わっていただいたりして、適度に休憩を挟みながら走る喋る走る。
宇都宮を通過するあたりで 「宇都宮だよ〜」 「宇都宮だね〜」 とオタク系の発言をしつつも、
心配していた渋滞にもまったく引っかからず旅路は順調。
何だか皆して異様に興奮していたのは会津が近付いているからか? と思いながら福島に突入。
「福島、入りました〜!」 の言葉に 「福島〜」 「福島〜」 と言葉が重なり笑えましたが、
これがこの先グレードアップ。
標識に会津という文字を見つけた途端、ナビをしていた藤枝さんが突然
「会津キターッ!!」 と叫び 「会津キターッ!」 「会津キターッ!」 と何故か皆で復唱。
そのまま 「会津!」 「会津!」 と叫ぶ集団(爆)
いやぁテンション高い高い。
「このトンネルを抜けたら会津の心、磐梯山が左前に出まぁ〜す」 と一々藤枝さんが報告。
そして 「磐梯山、キターッ!!」 「「キターッ!!」」 「磐梯山、キターッ!!」
・・・笑ってしまってハンドル操作を誤ったらどうするんですか、皆さん(笑)
しばしの絶叫の後、セッセと写真を撮る姿が可愛かったですよ、藤枝さん。
高速を降りる前に最初の予定地を確認しようと海辻が持っていった、るるぶを確認するも
なんとも古〜い本であてにならず(汗)
「と、とりあえず有名な場所だし、標識ぐらいあるでしょう」
それを祈りつつ一般道に下りると何とすぐに目的地を表示する看板を発見。
それを頼りにスルスルと到着。
「日新館キターッ!!」 「「キターッ!!」」 「キターッ!!」
はい、集合してから約5時間。日新館に到着ですっ。
でも暑い暑い。海辻はちょっと泣きそうになってました。
高速上に設置された温度計で昼前に35℃になっていたので覚悟はしてましたが、
それ以上の酷暑・・・。
けれど皆様は海辻の悲哀など目にも止まらず元気一杯(笑)
あちらの写真を撮り、こちらの写真を撮りと動き回っておいででした。
日新館内部はとても広くて前にも一度行った事があるのですが、やっぱりびっくりします。
国内では鍋島藩の藩校と一二を争うレベルの高い学校だったそうですよ、ここ。
「ならぬことは、ならぬものです」 という有名な言葉もあちこちに掲げられていて、
本当に会津に来たんだなぁと実感(じーん)。
中では色々な授業風景や生活風景を人形を使って展示していてわかりやすい。
ちょっと面白い話としては、ここは武士の子が10歳になると入学する場所なのですが、
論語を素読出来なければ長男の場合は35歳まで、次男以下だと21歳まで
卒業する事を許されなかったそうです。
思わず美亜さんと笑ってしまって 「なんか総司は35歳までいそうだね〜」
「そうそう、歳はサクサク飛び級してそう〜」 「確かに〜」 と爆笑。
この話は後で奈鳩さんとも 「35歳まで、っていう事は、その年まで居座った人がいたのかなぁ?」
「でも当時の35歳っていうのは年寄り一歩手前でしょ? そんな年まで学ばせてどうするんでしょ(爆)」
と大笑い。
他にも敷地内には水練水馬池という日本最古のプールと言われる池がありました。
水深はわからなかったのですが、馬に乗っての水練も行われていたそうなので
きっと2メートルぐらいあるんじゃないか、と皆の総合意見でした。
今は鯉の楽園になっていてエサをあげるとバシャバシャとものすごい音を響かせています。
それをボンヤリ眺めていた藤枝さんの背後に回って 「入ってみます? 鯉は雑食なんですよ〜。
人間も食べるかも〜?」 と軽く背中を押すと 「や、やだっ!」 と涙目でプリティな反応。
海辻の性格の悪さと藤枝さんの可愛らしさが出た一幕でした。
また弓道の実体験をさせてくれる場所があって、私以外の皆さんがトライ。
後ろで荷物番をしながら見ていたのですが弓を構える姿って綺麗だなぁ、とほのぼの。
背中がスッと伸びて腕と肩の線がそれと合わさってとても綺麗。
残念ながら初心者にはかなり難しかったようで、的に当たったのは藤枝さんの1本だけでしたが、
皆満足そうな顔で戻ってきましたよ。
私もやってみれば良かったかなぁ・・・。
ビックリしたのがここではまだ紫陽花が咲いていたのです。
もうかなり色が褪せてしまっていましたが、それでも確かに咲いていました。
驚いて藤枝さんに 「紫陽花がまだ咲いてますよっ?」 と報告。
何だか面白いものを見つけては親に報告する子供みたいでした(笑)
そして日新館脇のお店でちょっと遅めのランチタイム。
藤枝さんと美亜さんはお蕎麦で奈鳩さんと私がわっぱ飯御膳。
なんたって会津の名物料理ですから、わっぱ飯は♪
でもプラスチックの器というのがちょっと寂しかったです。
やっぱり木製の曲げわっぱが望ましいですよ、うん。味はとても美味しゅうございました。
お腹が満足した所で次の目的地、飯盛山へGo!!
日新館からはわかりやすい道のりで、私にしては珍しく迷う事無く到着。
お土産屋さん付属の駐車場に車を停めて上り口に向かっていくと
有料のスロープコンベアが設置されていて、登りだけはそれで登れました。
が、奈鳩さんは自力で階段を上がっていきましたよ〜。
しかもコンベアよりよほど到着が早くて、その体力にはびっくりです。
さすがは『ビリー隊員奈鳩』。(この後それぞれに妙なセカンドネームがつきます)
上は広いスペースがあり、左側には白虎隊隊士のお墓や娘子隊の慰霊碑がありました。
皆でお線香を上げてお参りしたのですが、奈鳩さんが泣きそうな顔で
「他に誰もいなかったら号泣してたかも〜」と言っていたのが印象的でした。
ちょっと体調が良くない、という美亜さんにはベンチで休んでいてもらって、他の3人で自刃の地へ。
飯盛山の山腹。会津若松の町が一望できる場所でした。
太陽の関係で黒くしか見えませんでしたが、遠くに鶴ヶ城が望めて。
今は周囲に高い建物が多いのでお城も目立たなくなっていますが、
当時はさぞ威容を誇っていた事でしょう。
位置的には飯盛山から見て手前が城下町、その向こうが鶴ヶ城になります。
この場所で城下が燃える煙越しにお城を見たなら確かにお城が燃えているように思えただろうと、
その時の彼らの絶望を思って私はお墓よりもこちらで泣きそうになりました。
まだ中学3年や高校1年ぐらいの少年達です。
不器用でも誠実に生きなさい、殿様のために命を使いなさいと繰り返し教えられ、
それをその身に刻み込んでいる少年達です。
彼らの自決は必然であっても、ただ哀しいと思いました。
ですが・・・泣くより先に、とにかく暑い。涙より汗がぼとぼと。
何て風情が無いんだ、とすごすごと美亜さんの所に戻りました(苦笑)
藤枝さん達は下に降りる途中にある“さざえ堂”を見ていくと言ったのですが、
私は階段の上に立った瞬間に視界が真っ白になり全身に一瞬震えが走ったので
「先に下りてます」 とリタイア。
これって高校の時に熱中症で倒れた症状と同じなので無理はせず、
下のお土産屋さんで麦茶を貰って涼んでいました。
そのうち降りてきた方々と合流して、しばしかき氷タイム。
かき氷なんて食べたのは何年ぶりかというものですが、あの状況では何よりの美味でしたよ〜。
あまりに慌てて食べたので、キーンと頭痛が来て 「うっ・・・痛い。でも今はそれさえ快感」
と呟いたら爆笑されました。
痛みさえ冷たさの付属物と思えば快感だったんですってば〜。
休養の後に白虎隊記念館へ。
ここは白虎隊だけでなく会津戦争に関わった両軍の資料が多く展示されてました。
白虎隊士達が出陣を前に親に書き残した手紙とか、彼らが今の年齢で
15.16歳だった事を思うと再び胸が痛くなります。
会津戦争の後、会津は斗南藩に移封されるのですが公称3万石が実質7千石程度の
貧しい土地だった事は有名です。そこに1万7千人の会津藩士とその家族が移り住んだそうです。
食べる物も無くて草や木や食べられる物なら何でも食べたと書かれていました。
本当に一藩総流罪・・・。
何ですかね、明治新政府ってのは。
と、改めてふつふつと湧く思いもあったのですが、維新後に新政府の元で様々な役職を務めた
旧会津武士やその家族の丸々とした顔の映った写真が、何より複雑な気分にさせてくれました。
ここでは泣血氈が見れるかと思っていたのですが、すでに持ち主に返却されているとかで
見る事ができなかったのが残念です。
降伏後に容保公が椅子に座る官軍司令達の前で座らせられた地に敷かれた緋毛氈の切れ端です。
この名前が思い出せずに 「う〜ん、あれ、ほら、碧血じゃなくて(それは函館の碧血碑と混同してるし)、
血涙じゃなくて、う〜ん・・・知りませんか? 奈鳩さぁ〜ん」と、散々奈鳩さんを困らせました(苦笑)
優しい奈鳩さんは出口に貼ってある 「泣血氈は展示してません」 という表示を見つけて
教えてくれました・・・迷惑ばっかりかけてるな、私。
1階2階と見て回り、疲労もピークに近かったので次へ移動となりました。
本日最終目的地は“会津駄菓子資料館”。
ここは海辻のリクエストでコースに入れてもらいました。
1階が駄菓子の小さな店舗で2階が資料館というより、少しだけ資料が展示してあるスペースです。
・・・ちょっとね、海辻の妄想話に使いたかったんですよ、このネタ。
だから下調べです。というわけで、ここの話はナイショです〜(笑)
この後すでに酷暑と疲れのせいでヘロヘロになっていた一同は宿へ向かい、
思ったよりも広い部屋に喜びつつデロンと体を休めました。
えぇ、もちろん宿へ向かう途中も、一休みした後に夕食を食べに(会津懐石ですよ〜♪)
店へ行く時も迷いましたけど・・・もう、これは私達のお約束です。
これで初日の活動は終了したのですが、とてつもなく楽しい一日でした。
とにかく皆さん知識が豊富。
最初に車内で奈鳩さんが「史実OKですか?」と言った瞬間に全員のスイッチがカチリと入った音が
聞こえた気がして、その後は出るわ出るわの状態。
風光るの話、新選組、会津、薩摩、長州、土佐、それらにまつわる漫画、小説、ドラマまで
多岐に渡って対応出来る方々というのにびっくり。
今まで真面目に
「岩倉具視が妖怪とか言われているけれど、本当の妖怪ってのは勝海舟じゃないかな?」
「あぁ、あのオジサンは常に広い視野で真実を冷静に見据えてた気がするよね」
「だからやる事をやったら、さっさと“ぢゃっ、これでっ”って引退しちゃったんだろうし」
「時代の流れとか世界の動向とかよく見えてた人なんだろうね」
・・・と真面目に江戸開城あたりの話をしてたかと思うと、次は
「旦那様にするなら松本良順がいいなぁ」
「あ、私も私も。絶対に退屈しないし、色んな事をやらかしてくれて楽しいよね〜」
「え? 私は嫌だなぁ。何だか尻拭いばかりさせられそうだし。容保様がいいな。穏やかな人って好きさ♪
松本良順は少し離れた距離で観察しているのが一番楽しそうでしょ」
「あぁ、それも言えるかも」
・・・などと駄話を始めたり。
宿であまりに美亜さんが飛び抜けた風キャラ考察をするので私が
「私の風キャラ像がどんどん壊れていく・・・今後はクラッシャー美亜と呼ぼう」
と言うと美亜さんは爆笑しすぎて倒れこみ足がピクピク。
それを見ていた藤枝さんが 「スナイパー海辻・・・」。
「なんですと〜、藤枝さんは誰かにコロボックルって呼ばれたんですよね。
だったらコロボックル藤枝という事で」
少し前に奈鳩さんがビリーの隊員になってトレーニングをしていたと話していたので
「奈鳩さんはビリー隊員奈鳩・・・で決定♪」
・・・こうして夜の宿で怪しいセカンドネームが決まったのでした(爆)
とにかく初日は異様にテンションが高く、よく 「ハイになる」 という言葉を使いますが、
あれはもう 「スーパーウルトラスペシャルデラックス・ハイ」。
会津の地にいるという事だけで倍々に感情が高ぶっていったのです。
あの様子を傍で見ていたら、ちょっとアブナイ人達に思われたかもしれません(笑)
奈鳩さんが 「もう、このまま萌え尽きそうですよ〜。もちろん“もえ”は草冠の方で」
と言うぐらいに皆突き抜けておりました。
そしてこの日は皆倒れこむように就寝。
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